モーツァルトは本当に「不遇の天才」だったのか――手紙と記録でたどる35年の生涯
名作読解室
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モーツァルトは本当に「不遇の天才」だったのか――手紙と記録でたどる35年の生涯
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幼いころは神童ともてはやされ、大人になるとどこの宮廷にも雇われず、ウィーンでは借金に追われ、毒を盛られたという噂の中で、貧しい人の墓に葬られた。モーツァルトについてよく語られる「不遇の天才」の姿です。
けれども本人と家族は、たくさんの手紙を残しています。当時の新聞や、教会・宮廷の記録もあります。モーツァルトは、本当に不遇の天才だったのか。1756年の誕生から、1791年の死、そして伝説が生まれるまでを、記録でたどります。
▼この動画でわかること
・洗礼の記録に「アマデウス」の名はない(テオフィルス=「神に愛される者」)
・6歳でシェーンブルン宮殿へ。父の手紙「女帝さまの膝に飛び乗った」と、病気で失った「50ドゥカーテン」
・ロンドンでモーツァルトを試した法律家バリントンの報告(父の間違いを直した少年と、猫)
・マリア・テレジアの手紙「作曲家のような、役に立たない人たち」。就職の旅で返ってきた答え
・パリで母を亡くした夜の2通の手紙。父には「とても具合が悪い」とだけ書いた
・ウィーンでの頂点:174人の予約者、一晩で559グルデン、ハイドンの言葉
・借金の手紙「次の収入が入るまで、待たなければならないときには」。お金はどこへ消えたのか
・1791年:《魔笛》は満員、葬儀は支払い済みの「3等」。「貧しい人の葬儀ではなかった」
・毒殺の噂は、どこから来たのか。1791年12月の新聞から、ベートーヴェンの会話帳、プーシキン、映画まで
▼チャプター
0:00 オープニング
1:25 第1章 ザルツブルク、1756年
3:18 第2章 神童の旅
6:33 第3章 どこにも雇われない
10:47 第4章 「お尻を蹴られて」、ウィーンへ
12:26 第5章 頂点
15:25 第6章 借金の手紙
19:02 第7章 1791年
22:05 第8章 伝説の生まれ方
24:52 エンディング
▼ご注意
・手紙の頁は、19世紀に出版された書簡集の頁で見せています(モーツァルトの自筆そのものではありません)。洗礼簿・死亡簿・帳簿の言葉は、文字で示しています。
・年収・借金の額は、手紙と記録から研究者が推定したもので、研究者によって数字が違います。死因も、現代の病名は分かっていません。
・旅の地図は、手紙の記録から作った略図です。
#モーツァルト #クラシック音楽 #伝記