中山道・街道あるき(街道の起点・日本橋~巣鴨間のツアーハイライト)
クラブツーリズム街道部
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中山道・街道あるき(街道の起点・日本橋~巣鴨間のツアーハイライト)
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こんにちは! クラブツーリズムそとあるき・街道部です。
今回はクラブツーリズム街道をあるく『中山道六十九次シリーズ』 第一回目
『東京・日本橋~巣鴨 日帰り』ツアーに同行してきました!
街道あるきのツアーの様子を撮影してきましたのでご覧ください。 「街道をあるくツアーってどんな様子、雰囲気?」 「ひとりで参加するのは不安だし…また、これまで街道のツアーに参加したことないし…」 そういった方はこれを見て街道あるきをスタートする参考にしてしてみてください。 ツアーでは中山道に詳しい講師が案内してくれて、中山道の正確なルートとペース配分を考えてくれるだけではなく、道中の歴史、江戸時代の景観との比較なども説明してくれるので、安心・安全に歩けます♪
クラブツーリズムでは中山道六十九次のシリーズを全33回に分けてご案内しています。 東京・日本橋から約534kmの旅程も無理なく講師の解説付きで旅仲間と一緒に歩くことができるツアーにお申し込みいただけます。 これを機に街道あるきをスタートしてみるのはいかがですか?
中山道第一回目の行程
『日本橋から巣鴨 日帰り行程』 JR東京駅日本橋口(集合)…日本橋(五街道起点)…神田明神…湯島聖堂…東大赤門…大円寺…巣鴨駅(解散)
『中山道六十九次』とは …
中山道は江戸を起点とする五街道(東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中)の一つで、東海道とともに江戸から京都を結ぶ重要な街道であった。この街道の道程は、江戸日本橋から武蔵国(埼玉県)上野国(群馬県)信濃国(長野県)美濃国(岐阜県)を通り近江国(滋賀県)草津で東海道と合し、京都に至る六十九次、135里34町10間(533.9㎞)であった。また信濃国木曽を通るため木曽街道ともよばれた。
名称の由来は、日本国土の中間の山道ということで中仙道とも記されたが1716年、徳川幕府は“中仙道”を“中山道”と名称を統一した。
【動画で紹介している立ち寄りポイント】
◎日本橋
慶長8年(1603)に、徳川家康が江戸東側の海岸地帯を埋め立てて町割りを行った際架けた橋で、江戸の真ん中にある橋という意味で日本橋と呼ばれるようになった。元は木橋だが、幾度の変遷を経て現在の石橋は明治44年(1911)に現在の石造りルネッサンス様式のアーチ橋になった。南西詰は高札場跡で、現在青銅製の案内板が高札の面影を残して建っている。橋の北詰めが中山道・日光街道の出発点。南詰めが東海道・甲州街道の出発点だった。高札場・晒し場・魚市場があった。現在も7つの国道の出発点である。
◎湯島聖堂
徳川家康は幕府教学の準拠を求め儒学者林羅山を登用し、その後5代将軍綱吉は上野忍岡にあった林羅山邸内の孔子廟を元禄4年(1691)にこの地に移すと、ともに先成殿を大成殿と改称し孔子像と四賢像を安置した。また、聖堂の西側に御成殿や学寮を設置した。太成殿はその後大火で3回焼失しその都度再建された。 関東大震災で全焼後、現在のものは昭和10年(1935)に漢学関係団体の斯文会の尽力などにより再建されたもの。8代将軍家斉の時に幕府の昌平坂学問所を併設するが寛政9年(1797)に孔子廟関連の聖堂と教育関連の昌平坂学問所とに分離した。台湾から寄贈された孔子像や入徳門・大成殿・楷書の基になったといわれる楷の木がある。
◎神田明神
神田明神は今から約1270年前の天平2年(730)、武蔵の国豊島郡芝崎、現在の千代田区大手町将門塚周辺に大己貴命を祭神として創建された。約200年後、平将門が俵藤太に討たれ、その首が京都で晒されたがこれを奪い返して塚を築き葬った。さらに、延慶2年(1309)には将門公の霊をも相殿に祀り、神田明神と名付けた。 天正18年(1590)徳川家康は江戸を幕政の地と定め大規模な城下の造成工事を開始し、元和2年(1616)には現在の場所に移り、江戸城の鬼門の守護神となった。その後、桃山風の豪華な社殿が築かれ、歴代将軍の崇敬厚く、江戸総鎮守として江戸の庶民にも親しまれてきた。 随身門、商人の寄進した天水桶、石獅子や銭型平次・角田竹冷・国学発祥の碑がある。境内には合祀した7つの小社がある。
◎かねやす
度重なる大火の為に江戸城を中心とした府内は防火対策として土蔵造り、瓦葺の家の建築が義務づけられた。本郷3丁目辺りが府内との境界で乳香散という歯磨きを売っていた「かねやす」の大きな土蔵が目立ったので川柳の「本郷も かねやすまでは江戸の内」で有名になった。「かねやす」の本家争いが芝明神前野の兼安との間で争われたが本郷はカナ、芝明神前は漢字とした大岡越前守の名裁きが伝えられている。
◎東大赤門
東大の敷地の大部分は加賀藩前田家の上屋敷であった。11代将軍家斉の娘 溶姫が加賀藩前田成斉泰に輿入れするにあたり、建造された。3位以上の格式ある大名に嫁する将軍の娘を「御守殿」というところから、御守殿門といわれ、朱で赤く塗り上げたので、赤門と呼ばれている。 ◎大円寺 この寺にある「ほうろく地蔵」は、天和2年(1682)の尾七火事の後、放火の罪で火あぶりの刑にされたお七の罪業を救う為に、熱した焙烙(ほうろく)を頭にかぶり、自ら焦熱の苦しみを受けたお地蔵様と言われている。また境内には、幕末の砲術家の高島秋帆の墓や、明治期の小説家斎藤緑雨の墓がある。
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