【若秩父高明】両手いっぱいの塩を宙に舞い上げた怪童 ― 天才を蝕んだ糖尿病と、どん底からの関脇復帰
相撲伝説と闇
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【若秩父高明】両手いっぱいの塩を宙に舞い上げた怪童 ― 天才を蝕んだ糖尿病と、どん底からの関脇復帰
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1954年(昭和29年)春、秩父。 地元で、花籠部屋の追善興行が開かれていた。 だが——当時の花籠は、力士の数も足りない小部屋。 興行の"間"が持たず、苦肉の策として、 観客の飛び入り参加が許されたのである。 見物に来ていた一人の高校生が、土俵に上がった。 何番か相撲を取ったその少年を、じっと見つめる男がいた—— 花籠親方・大ノ海。 初代若乃花を育てた名伯楽の目が、光った。 「この子は、モノになる」—— 飛び入り参加から始まった、史上まれな入門物語である。
若秩父高明。 毎日一升飯を平らげ、幕下時代はどんぶり10杯を食べ続けた、 愛嬌たっぷりの太鼓腹。 19歳で三役に昇り、柏戸らと**「ハイティーントリオ」と呼ばれた神童は、 しかし——その食欲ゆえに糖尿病**に倒れ、十両へ転落する。 どん底から彼を甦らせたのは、母との二人三脚だった。 昭和の土俵でもっとも愛された"あんこ型"力士の、 笑いと涙の生涯を徹底解剖する。
1939年(昭和14年)3月16日—— 帝国陸軍軍人の家の長男として、加藤髙明(かとう こうめい)は生まれた。 本名は、かの総理大臣と同じ字面。 だが読みは「たかあき」ではなく「こうめい」—— 生涯、読み間違えられ続けた名前である。 育ったのは、埼玉県秩父郡高篠村(現・秩父市)。 小学生の頃から大飯喰らいで身体はぐんぐん大きくなり、 中学の相撲部では毎日一升の飯を食べて、秩父郡の大会を荒らし回った。
秩父農工高校に進んだ1954年春——冒頭の飛び入り事件が起きる。 大ノ海に見出された髙明だったが、母は猛反対。 それを説得したのは、意外な人物だった。 2代花籠親方の墓を発見した、地元の外科病院の院長である。 部屋に縁の深い恩人と親方の説得に、母はついに折れ、 髙明は高校を中退して花籠部屋へ—— 1954年5月場所、15歳で初土俵。 四股名は、故郷・秩父と、部屋頭・若乃花から一字—— 「若秩父」。 序ノ口から引退まで、生涯この名で通した。
土俵の鬼・若乃花の直々の指導は、絶大な効果があった。 稽古熱心な若秩父は、どんぶり10杯の"食う稽古"も相まって、 幕下通過までに45kgの増量を達成。 1958年1月場所、18歳で新十両。 そして同年9月場所—— 新入幕でいきなり12勝3敗、敢闘賞。 角界に、太鼓腹の神童が現れた瞬間だった。 19歳の若秩父は、同世代の柏戸、豊ノ海と共に、 **「ハイティーントリオ」**と呼ばれ、一躍時の人となる。
1959年1月場所——横綱・千代の山を破る金星を含む活躍で2度目の敢闘賞。 翌場所、19歳で新小結—— 世間は彼らを**「ハイティーン三役」と囃し立て、人気は最高潮に達した。 175cm・150kgの丸い身体、 左四つから繰り出す豪快な吊り**、 そして仕切りのたびに観客を沸かせた豪快な塩まき—— 子供たちのアイドル"あんちゃん"は、昭和30年代の土俵の華だった。 花籠部屋は若乃花を筆頭に、若秩父、大豪(若三杉)、若ノ海と人材が揃い、 「日本一の貧乏部屋」は、黄金時代を迎えていた。
だが——愛すべき食欲が、牙を剥く。 度を越した大食いが祟り、若秩父は糖尿病を発症。 身体は重く、動かず、番付は十両へ転落した。 ハイティーンの神童、まさかの挫折—— ここで立ち上がったのが、かつて入門に反対した母だった。 母と子の二人三脚の食事制限と節制—— 好物を断ち、身体を作り直す地道な日々。 そして若秩父は、幕内に舞い戻り、 1963年7月場所、ついに西関脇へ昇進する。 糖尿病からの三役復帰—— 太鼓腹の人気者は、**「努力の人」**でもあったのである。
1968年11月場所限りで引退。29歳。 年寄・関ノ戸を経て常盤山を襲名し、花籠部屋付きの親方として、 輪島、魁傑、龍虎ら後輩たちの育成を支えた。 1985年、花籠部屋消滅の際には後継を固辞し、放駒部屋へ移籍—— 欲のない、人柄そのままの選択だった。 NHK大相撲中継では向正面解説の常連として、 あの丸い顔と温かい語り口で、お茶の間に愛され続けた。 協会では監事(現・副理事)、巡業部副部長を歴任し、 2004年3月場所中に65歳を迎え、千秋楽をもって定年退職—— 場所中に誕生日を迎えた親方だけに許される、粋な幕引きだった。
2014年(平成26年)9月16日、死去。享年75。 折しも、秋場所の真っ最中—— そしてこの年は、5月に盟友・魁傑(放駒)が急逝したばかりだった。 魁傑、龍虎、そして若秩父—— 花籠ゆかりの男たちが相次いで旅立ち、 昭和の名門の灯が、また一つ消えた年である。
飛び入り参加で見出され、一升飯で大きくなり、 糖尿病に堕ちて、母の愛で甦った男。 若秩父高明——その太鼓腹と豪快な塩まきは、 昭和の土俵がいちばん温かかった時代の、永遠のシンボルである。
このエピソードでは、若秩父高明の生涯——飛び入り参加の入門秘話、一升飯とどんぶり10杯、ハイティーントリオの栄光、糖尿病転落と母との二人三脚、関脇復帰、そして2014年の死までを、資料と証言をもとに紐解いていきます。
▼このエピソードで語られる内容 ・1939年、陸軍軍人の家の長男に誕生 ・総理大臣と同じ字面、読みは「こうめい」 ・毎日一升飯を食べた秩父の中学時代 ・1954年、花籠部屋追善興行での飛び入り参加 ・大ノ海の目に留まった高校生 ・母の猛反対と外科病院長の説得 ・高校中退、15歳での初土俵 ・若乃花から一字を貰った四股名「若秩父」 ・土俵の鬼の直々の指導 ・どんぶり10杯——幕下時代の"食う稽古" ・幕下通過までの45kg増量 ・1958年、18歳の新十両 ・新入幕でいきなり12勝3敗・敢闘賞 ・柏戸・豊ノ海との「ハイティーントリオ」 ・1959年、千代の山を破る金星 ・19歳の新小結——「ハイティーン三役」 ・豪快な吊りと名物の塩まき ・子供たちのアイドル"あんちゃん" ・花籠黄金時代の一角として ・度を越した大食いと糖尿病の発症 ・十両転落——神童の挫折 ・母との二人三脚の節制生活 ・1963年、西関脇への復帰 ・「努力の人」と呼ばれた真の姿 ・1968年引退、常盤山襲名 ・輪島・魁傑・龍虎を支えた部屋付き時代 ・花籠消滅時に後継を固辞した人柄 ・NHK向正面解説の温かい語り口 ・2004年、千秋楽での粋な定年退職 ・2014年9月、秋場所中の死 ・魁傑・龍虎と相次いだ花籠の訃報 ・太鼓腹と塩まきが遺したもの
この動画は、栄光の裏に隠された「相撲伝説と闇」を、敬意を持って掘り下げるシリーズの一編です。
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参考文献・出典(信頼できる公式ソース)
【最優先1a】若秩父高明 - Wikipedia(日本語版)
相撲データベース SumoDB「関脇 若秩父 高明(わかちちぶ こうめい)」全取組・対戦成績・改名歴データ
スポニチ Sponichi Annex「元関脇・若秩父の加藤高明さん死去 75歳 豪快塩まきで人気」(2014年9月18日・訃報記事)
若乃花幹士(初代)- Wikipedia(日本語版)(花籠部屋・直弟子指導の項)
花籠部屋 - Wikipedia(日本語版)(黄金期・所属力士・1985年消滅の項)
柏戸剛 - Wikipedia(日本語版)(ハイティーントリオの項)
コトバンク(講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)「若秩父高明(わかちちぶ こうめい)」
大ノ海久光 - Wikipedia(日本語版)(花籠親方・スカウトの項)
北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信著、2015年)
ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ 花籠部屋・二子山部屋』
※本動画は上記の公式資料・報道記事に基づき、故人と関係者への最大限の敬意を持って制作しています。 ※画像・映像素材は引用の要件を満たす範囲で使用しています。
#相撲伝説と闇 #若秩父 #ハイティーントリオ #花籠部屋 #豪快塩まき