北条と40年戦っても滅びなかった房総の里見は、なぜ北条が消えたあと、上総も安房も失ったのか|房総 里見の勢力図【里見氏 1526〜1622】
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北条と40年戦っても滅びなかった房総の里見は、なぜ北条が消えたあと、上総も安房も失ったのか|房総 里見の勢力図【里見氏 1526〜1622】
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房総 里見氏の勢力図。北条と40年戦っても滅びなかった房総の里見は、なぜ北条が消えたあと、上総も安房も失ったのか。
北条の手を借りて当主になった里見義堯から、伯耆で亡くなった忠義まで。海をはさんで北条と向き合った里見を、当時の記録と戦国時代の日本史の地図で追います。
■ この動画でわかること
・のちに北条と40年敵どうしになる里見。その当主の義堯は、北条の手を借りて当主になっていた。鎌倉の鶴岡八幡宮の僧の日記が書く、里見の家の中の争いと第一次国府台合戦
・海をはさんで北条氏康と向き合った房総。北条は海を渡って安房に攻め込み、里見は三浦と鎌倉へ。上杉謙信と結んだ里見と、第二次国府台合戦でよく語られる「槍の大膳」の話の出どころ
・国府台で負けた里見が、上総の西をほぼ取り返した三船山。武田信玄と組み、1577年に北条と和睦するまで
・豊臣秀吉の小田原征伐の年に、里見はなぜ上総の南半分を取り上げられたのか。「遅れて着いた」という昔の説明と、自分の名で出した禁制
・関ヶ原のあと、館山城の里見は関東でいちばん大きな外様の大名に、と見られるまで。1614年、当時の記録が書く安房の国替えと大久保忠隣
・伯耆の倉吉で実際に渡された土地と、後を追ったと伝わる家臣たち(のちに「八賢士」と呼ばれたという)。『南総里見八犬伝』が舞台にしたのは、いつの里見だったのか
■ 目次
00:00 序章 1589年の房総|里見氏・北条・徳川家康
03:28 第1章 北条の手で立った当主|里見義堯・天文の内訌・第一次国府台合戦
11:05 第2章 海をはさんで|北条氏康・正木時茂・久留里城・上杉謙信
15:09 第3章 謙信と国府台|上杉謙信・小田原城・第二次国府台合戦
20:04 第4章 取り返した上総|三船山合戦・武田信玄・房相一和
26:54 第5章 天下人の禁じた戦|天正の内乱・豊臣秀吉・小田原征伐
33:47 第6章 徳川の世の里見|里見義康・関ヶ原・館山城・大久保忠隣
40:06 第7章 伯耆の倉吉へ|里見忠義・倉吉・八賢士
■ 地図の見方
朱=里見(濃い色=直接治める土地 薄い色=従う家の土地(正木など) 斜線=取り合い中。1590年5月の上総と1614年9月の安房は明け渡しの前)。◆=里見の本城
北条・上杉・武田・佐竹ほかはその家の色。1590年からは徳川・豊臣の色。どの大名にも付かない土地は薄い墨
右上の数字=石高(米のとれ高)の目安
北条の手で立った義堯から、伯耆で亡くなった忠義まで。里見の当主のうち、もっと詳しく見てみたいのはだれですか。コメントで教えてください。解説してほしい家や武将、合戦も、コメントで教えてください。
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■ 地図と数字について
・年は和暦の年の西暦、月日は和暦(慶長19年9月9日は西洋の暦で1614年10月12日)。季節は旧暦、年齢は数え
・右上の石高は1598年の検地高を、郷帳の郡ごとの石高の比で郡に按分した目安。1590年からの里見は記録の石高(4万石・約9万1千石・約12万石)。郡は1920年の郡境の近似(安房は1郡のため、国の中の争いは点と矢印で)
・1577年の和睦の境(小櫃川と一宮川)、1580年代の夷隅郡(川の中流と下流は北条方の土岐の領分)、1601〜14年の鹿島郡(3万石とされる加増分)は郡で塗った目安。1614年9月からは忠義の居場所を点で
・1533〜38年の里見と北条は、北条方の鶴岡八幡宮の僧・快元の日記で見た
・本編で「当時の記録」と呼んだ『当代記』は、江戸時代の初めにまとめられたとされる年代記
・国府台(1538・1564年)と三船山の兵の数は記録で大きく違うか無いため出していない。三船山の日と房相一和の月は記録で分かれ、年と季節だけ
・忠義の亡くなった日と年齢は、高野山の過去帳などの6月19日・29歳(8月、27歳・30歳とする本もある)
・人物と情景の絵は生成AIの想像図(同時代の肖像が確かめられず言葉で描いた。義堯の晩年の装いは正源寺の木像を参考にし、像は手本にしていない)。里見の二つ引両と正木の三つ引両は1561年の『関東幕注文』、大久保藤は大久保家に伝わる紋による。語りは合成音声
■ 出典
地図・地形: 国土地理院(地理院タイル・陰影起伏図)
郡境: 『歴史的行政区域データセットβ版』(CODH作成)doi:10.20676/00000447(国土交通省「国土数値情報(行政区域データ)」をもとにNIIが加工)
史料の札: 『快元僧都記』(『群書類従』第16輯・『新校群書類従』第20巻)、「関東幕注文」(『大日本古文書 家わけ第十二 上杉家文書之一』)、『当代記』・『駿府記』(『史籍雑纂』第2)
語りで引いた記録: 『鎌倉大草紙』、『里見代々記』(『改定史籍集覧』)、国府台の軍記(『鴻台後記』ほか)、寺社の禁制と棟札、妙本寺の日我の手紙(1580年)、豊臣秀吉の手紙(1588年・館山市立博物館「さとみ物語」の要旨による)、江戸時代の書物(『慶長見聞書』『東武実録』『御当家記年録』『管窺武鑑』ほか)、『本光国師日記』、池田家の重臣の手紙(塚本文書)、『伯耆民談記』・『転封録』(『本光国師日記』からここまでは『大日本史料』第12編=東京大学史料編纂所の公開データで文面を確かめ、画面には出していない)、『史料綜覧』巻9〜14
語りの見方の出どころ: 館山市立博物館「さとみ物語」、滝川恒昭氏(「里見家改易後の正木大膳とその子孫」ほか)・市村高男氏・竹井英文氏ほかの研究、大野太平『房総里見氏の研究』、千野原靖方『里見家改易始末』、川名登『房総里見一族』
札の現代語訳はこの動画によるものです
BGM: Will you still cry?(まんぼう二等兵・OpenTracks)
効果音: 効果音ラボ
#里見氏 #戦国時代 #日本史