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オペラ 桔梗ヶ原葡萄物語 (信濃の国大合唱フェスティバルin塩尻 ワイン作りへの道)

小松徹郎

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オペラ 桔梗ヶ原葡萄物語 (信濃の国大合唱フェスティバルin塩尻 ワイン作りへの道)

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小松徹郎
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桔梗ヶ原葡萄物語 世界的なワインづくりへの道  信濃の国大合唱フェスティバルin塩尻 小松徹郎作曲 塩尻のブドウ作りに関わった大恩人である豊島理喜治(とよしまりきじ)と川上善兵衛(かわかみぜんべえ)の二人を関連させながら創作した作品です。ワインの街、塩尻に相応しい作品だと思います。地元塩尻の偉人に取材したドラマに挑戦した作品です。 様々なシチュエーションは想像で補ってあり、現代の農業法とはかけ離れている部分もございますが、物語としてお楽しみいただければ幸いです。 今では、塩尻市や中信地方一帯は葡萄の生産地として、また、ワイン作りで目覚ましい発展をとげ、地元のワイン蔵が数々の世界的な賞を受賞するほどの名産地となっています。大小様々なワイン蔵が増えています。塩尻志学館高校では醸造の授業があり、販売日には大変な人気だそうです。 さて、この葡萄やワインの起源は明治時代に遡ります。今から約130年ほど前の1890年(明治23年)、塩尻の地で初めてブドウ栽培が始まりました。その7年後、1897年(明治30年)には、ワイン醸造が始まります。 立役者となったのは、豊島理喜治(とよしまりきじ)です。理喜治は、ほとんど原野だった1ヘクタールの土地に、コンコード、ジンファンデル・ハートフォード、ナイヤガラなど26品種、約3000本の苗を植え、さらに、ワイン造りのための会社を設立し、ワイン醸造を始めました。 理喜治は、段丘で砂地であり、畑作には適さない土地に果樹ならば適性があることを研究し、商品価値の高い葡萄に着目したのでした。当時は、鉄道ができ、名古屋などの大都市への需要も見込まれたのでした。 折しも日本は殖産興業の機運が高まり、世界の列強に並び立とうとしていた時代でもありました。人々が経済的に豊かになっていくことが、時の政府の切なる願いでもあったのでした。 塩尻の大恩人ともいうべき、豊島理喜治(とよしまりきじ)の記念碑は塩尻警察署近くの国道19号沿いにあります。 葡萄酒づくりに大きな影響を与えたのが、「日本ワインの父」と呼ばれた「川上善兵衛(かわかみぜんべえ)」です。善兵衛は、理喜治が桔梗ヶ原でのブドウ栽培を始めた際にも、栽培指導に携わっています。川上の新潟の岩の原ワインは今でも名声を博しており、山梨の葡萄作りにも関わったそうです。 塩尻市の葡萄づくりについては、市の観光ガイドに詳しいのでこちらをご覧ください。 https://tokimeguri.jp/guide/bg_winean...