【豊臣兄弟!】秀長は、本当に秀次を嫌っていたのか|史料に残る、叔父と甥の記録
歴史の後日談
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【豊臣兄弟!】秀長は、本当に秀次を嫌っていたのか|史料に残る、叔父と甥の記録
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秀吉の弟、秀長。秀吉の姉の子、秀次。
叔父と甥の二人は、本当に仲が悪かったのでしょうか。
秀長が秀次を嫌っていた、と直接示す記録は、確認できません。
けれど、二人の行動を記録で追っていくと、見えてくる関係があります。
天正12年、西暦1584年。小牧・長久手で大敗し、秀吉から厳しく叱られた秀次。
その翌年の四国攻めでは、総大将の秀長と並んで、およそ3万の軍を率いていました。
そして、秀長の家を継いだのは、秀次の実の弟、秀保でした。
大敗した甥は、そのあと、どう扱われたのか。
二人の家は、どう結びつき、秀長の死後、どうなっていったのか。
史料に残る叔父と甥の記録を、順番にたどります。
あなたは、秀長は秀次のことを、どう思っていたと思いますか?
よかったら、コメントで聞かせてください。
▼目次
0:00 オープニング
0:35 秀次は、どんな甥だったのか
1:20 大敗した甥は、どう扱われたのか
3:15 二人の家は、どう結びついたのか
4:11 秀長の死後、その結びつきは
5:25 では、秀長は秀次を嫌っていたのか
▼主な参考資料
藤田恒春『豊臣秀次』(吉川弘文館、2015年)
渡邊大門さんの記事(Yahoo!ニュース エキスパート。秀吉の叱責状について)
菊地浩之の研究(2019年。秀保の養子入りと仙丸について)
『多聞院日記』天正16年1月8日条(内容は二次資料による)
ウィキペディア「豊臣秀次」「豊臣秀長」「豊臣秀保」「四国攻め」(黒田基樹・諏訪勝則ほかの研究を引く記述)
※この動画は個人による歴史解説です。NHK・大河ドラマ『豊臣兄弟!』とは関係ありません。
※動画内のイラストは、AIで作成した再現イメージです。当時の人物の姿や場所を写したものではありません。
※秀吉の叱責の書状は、原文ではなく、内容を要約して紹介しています。
※秀保を秀長の養子に決めたのが、秀長本人か秀吉かは、記録にはっきり書かれていません。
※秀長と秀次の好き嫌いを直接伝える記録は見つかっていません。動画内の見方は、残された行動の記録からの考察です。
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【音声読み上げ】
VOICEVOX:青山龍星
https://voicevox.hiroshiba.jp/