米朝 枝雀 春蝶 一之輔 小三治 リク特 落語の絹の道6【落語】あくびの稽古 あくび指南 道具屋 小言念佛 世帯念仏
落語ch:荒獅子男乃助
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米朝 枝雀 春蝶 一之輔 小三治 リク特 落語の絹の道6【落語】あくびの稽古 あくび指南 道具屋 小言念佛 世帯念仏
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0:54あくび指南 31:52あくびの稽古 54:45道具屋(小) 1:26:14道具屋(春) 1:42:55小言念佛 1:55:32世帯念仏 2:12:08エンドトーク
「あくび指南」「あくびの稽古」
江戸落語で「あくび指南(あくびしなん)」、上方落語では「あくびの稽古(あくびのけいこ)」の演題で演じられる。武藤禎夫は、江戸時代の噺本に「指南(所)もの」と呼べる作品が複数あり、いずれも落ち(サゲ)を講師が「よほどお下地がある」と口にする点が共通すると述べている。八五郎は熊五郎に芸の稽古に誘われるが、この熊さん前にもいろんな習い事をかじったことがあり、歌の稽古をすれば長屋中の植木が腐り、踊りの稽古をすれば空に円盤が現れたというほど、芸を習う度に事件を引き起こしてきたので一度は断るが「あくび」の稽古という珍しいものだったので見学にだけ行くことにする
春風亭 一之輔
古典落語の伝統を守りつつ現代的な感性で観客を魅了する噺家で、古典落語の名作を彼独自の感性で再構築し「型破りの中にある正統」と評されています。伝統を守りながらも現代のスタイルを取り入れていて、立川志らくや立川談笑と並びSNSを有効利用している噺家の一人、鈴本演芸場夜の部でトリを務める予定だったが、新型コロナウイルス感染症対策にかかわる政府の緊急事態宣言発令をうけ休館となったため、高座に上がる予定だった時間帯の20:10〜21:00にらくごカフェ(東京・神保町)で無観客高座をYouTube「春風亭一之輔チャンネル」から無料で生配信した。自身の真打昇進をTwitterで知った。落語協会のHPに掲載された情報を誰かがツイートしたのを偶然見て、慌てて師匠の春風亭一朝に尋ねたが、一朝も知らないという。一朝の携帯電話の充電が切れていて師匠にも本人にも昇進が伝わっていなかった。
二代目 桂 枝雀
入門時から稽古には熱心で、深夜の歩行中にネタ繰りをして警察に通報されたり、ネタ繰りに没頭するあまり掃除機を部屋の随所にぶつけて什器を壊したりした。米朝の妻は、「周りを気にせずのめり込む人は、後にも先にもあの子のほかにはいなかった」と評している。この「私生活の間も落語の稽古をする」という習慣は、枝雀として名をなした後年も変わらなかった。1973年(昭和48年)10月に道頓堀角座で「2代目桂枝雀」を襲名。この襲名は、6代目笑福亭松鶴の「小米には枝雀という名前がええで!」という意向で決まった。これを機にそれまでの落語を大きく変える。初代桂春団治にもたとえられる所作や声の激しい芸風となり、多くの観客を爆笑させ、大衆的な人気を得た。1997年高座で「鬱なんです」と告白し、客席の笑い声に「笑いごとじゃないんですよ」と続けた。この会の後、出演を控えて闘病生活に入る。復帰するものの満足のいく口演が出来ず1999年自宅で自殺を図り病院に搬送され同年4月19日に心不全のため死去。満59歳没。遺書やそれらしい発言は全くなく、真相は不明。
「道具屋」
江戸時代から口演されてきた伝統的な前座向きの噺。軽妙で面白く、よく知られる落語の一つです。古くからある小咄を集めて一席の落語にしたオムニバス形式の落語。与太郎が伯父にいわれて道具屋になるが、へまばかりして失敗を繰り返すという内容です。別名「道具の開業」とも呼ばれます。三十すぎてもぶらぶらしている甥の与太郎に伯父が自分の内職の道具屋をさせることにしますが・・・古典落語をベースにしていますが、声劇台本として作成されています。元の落語に様々なアレンジが加えられている場合があります
二代目 桂 春蝶
若いころから無類の酒好きで食事をほとんど摂らず身長175cmに対して体重41kgと非常に細身の体にギョロっとした目の風貌がドナルドダックに似ており、酒と博打の話題や阪神タイガースの大ファンとしても知られた。自作では「ピカソ」、「河童の皿」という演目を残している。新作落語では仁侠映画を題材にした「昭和任侠伝」も得意ネタとした。「昭和任侠伝」は、ヤクザ映画全盛期にヤクザに憧れたとぼけた男の物語で、現在は3人の弟子と実子の3代目春蝶、3代目春蝶門下の紋四郎が受け継いで演じている。2代目春蝶の作とされることの多い「昭和任侠伝」であるが、実際は桂音也の作品である
「小言念佛」
ストーリーのない、形態模写の要素が濃い演目。大阪から東京に移入されたいわゆる「上方種」のひとつ。上方では3代目桂米朝の、東京では3代目三遊亭金馬、十代目柳家小三治の得意ネタとして知られる。朝の読経中、仏壇のホコリやしおれた花が気になり、「南無阿弥陀仏」ととなえる合間に妻に指摘したり「鉄瓶(の湯)が煮立っている」「飯が焦げているようだ」「今朝のおかずは何だ」と頻繁に妻に尋ねる。十代目小三治は、声が届かずに通り過ぎようとするどじょう屋に向かって「南無阿弥陀!」と怒鳴り仏壇に「どじょう屋……」ととなえるという描写をサゲに用いる
十代目 柳家 小三治
「まくらの小三治」と呼ばれるほど、まくらに力を入れており小三治のまくらを聴きに寄席に足を運ぶ常連もいたという。中堅どころの名跡であった「柳家小三治」を真打昇進から2021年に没するまで名乗り通した。この間落語協会理事や同協会会長を歴任し重要無形文化財保持者(人間国宝)にも認定され東京落語界の大看板になった。小三治は「名前を大きくした」と言われ四代目桂米丸や五代目三遊亭圓楽に並び本来留め名ではなかった中堅名跡を名乗り通し大看板となった落語家のひとりである。弟子や若手に対する指導が厳しいことで知られていた。池袋演芸場で行われていたある日の「二ツ目勉強会」では、芸を批評するために小三治が来場することが出演者に告げられると、リラックスしていた楽屋に一気に緊張感が走り、強面で知られる三代目橘家文蔵(当時:橘家文吾)は落ち着きを失って顔面蒼白になったり、三代目柳家甚語楼(当時:柳家さん光)は固まったように黙ってしまったという。中には「噺家を辞めて故郷へ帰れ!」と小三治に叱責された二ツ目もいたとされる。
「世帯念仏」
東京では「小言念仏」上方落語の「世帯念仏」で、上方落語から江戸落語に移入されたいわゆる「上方種」のひとつで、ストーリーがなく、形態模写の要素が濃い。念仏を読経しながら周囲に(念仏とは)関係のない小言や命令などを口にする人物を描く。
上方では3代目桂米朝の、東京では3代目三遊亭金馬、10代目柳家小三治の得意ネタとして知られる。武藤禎夫は3代目金馬を「名演」と評している。桂文珍は「世帯念仏」の時代がかった演出を排し、設定を現代に置き換え「新・世帯念仏」と題して演じている。
三代目 桂 米朝
現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興に大きく貢献した。その功績から、1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。位階は従三位。戎橋松竹で初舞台後、長年千土地興行(後の日本ドリーム観光)に所属し、千日劇場を本拠に道頓堀角座やうめだ花月にも出演したが、1968年3月以降はフリーとなり、ホール落語、独演会、一門会を中心に活動するようになる。ラジオパーソナリティーを務めていた近畿放送の「天壇ゴールデンリクエスト」の縁で1966年7月16日、初の独演会「米朝 スポットショー」を京都府立勤労会館で開催、その流れで10月25日に現在でも続く桂米朝落語研究会をスタート。1974年、千土地時代の担当マネージャーを社長に据え芸能事務所米朝事務所を設立。現在一門の多くがここに所属する。
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