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令和8年10月11日 講社祭「金刀比羅舞」

金刀比羅宮 公式チャンネル

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令和8年10月11日 講社祭「金刀比羅舞」

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金刀比羅宮 公式チャンネル
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「金刀比羅舞(ことひらまい)」 大正5年〔1916〕、金刀比羅宮に特有の舞曲を創作することになり、金刀比羅宮 出仕の古市澤吉・小川豊彦らが宮内省楽師 豊喜秋(ぶんのよしあき、1848−1920)の意見の下、研究を重ね、大正6年〔1917〕に完成したのが舞曲「金刀比羅舞」です。3月10日、御本宮にて初めて奏進されました。 舞女は一人。白小袖、濃色長袴、萌葱幸菱単、五衣、黄朽葉鳥文二陪織物唐衣、海浦摺文様精巧引裳、桜花紅葉尾長鳥文藍摺小忌衣、赤紐を装い、垂髪、宝髻に銀平額を着けます。 全国崇敬者特別大祈願祭、三穂津姫社例祭、例大祭の講社祭で奏進します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 瑞垣(みずがき) 「おほきみの。みよをやちよと。みづがきに。いのるまことは。かみもうくらむ。」 (大君の。御代を八千代と。瑞垣に。祈る誠は。神も享くらむ。) 明治34年〔1901〕4月29日、伏見宮文秀女王殿下が金刀比羅宮にご参拝になられた際に詠まれた御歌に基づき、大正7年〔1918 〕舞女の進歌(すすみうた)として追加されました。参進のみで舞はありません。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 大御光(おおみひかり) 「このかみの。おほみひかりの。かしこさは。とつくにまでも。あふくとぞきく。」 (此の神の。大御光の。畏さは。外つ国迄も。仰ぐとぞ聞く。) 明治22年〔1889〕6月3日、山階宮晃親王殿下が金刀比羅宮にご参拝になられた際に詠まれた御歌に基づいています。 第4句「とつくにまでも」は、嘯月集(しょうげつしゅう)に「とつくにひとも」とありますが、金刀比羅宮では当時の御懐紙により「とつくにまでも」と歌います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 月影(つきかげ) 「かみのます。ことひらやまの。つきかげに。くもりなきよの。ひかりをぞしる。」 (神の座す。琴平山の。月影に。雲り無き世の。光をぞ知る。) 明治23年〔1890〕 1月31日、伏見宮貞愛親王殿下が金刀比羅宮にご参拝になられた際に詠まれた御歌に基づいています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 夕立(ゆうだち) 「あまねくも。ふりわたるらむ。かみのます。ことひらやまの。ゆふだちのあめ。」 (遍くも。降り渡るらむ。神の座す。琴平山の。夕立の雨。) 大正4年〔1915〕、大正天皇の即位礼などが京都御所紫宸殿で行われたあと、大規模な饗宴「大饗」が、当時皇室の離宮であった二条城(二条離宮)にて行われ、「大正度 主基地方風俗歌屏風」が飾られました。 主基地方の風景を詠んだ和歌と絵を表したこの屏風に「夕立の琴平山」があります。 宮内省御用掛の子爵・入江為守(1868~1936)が和歌を詠み、帝室技芸員で日本絵画の西の雄・竹内栖鳳(1864~1942)が絵を描きました。