鉄道模型版、鉄道ジャーナル小牛田運輸所はキハの聖地であった、JR奥羽本線キハ581523弘前色.キハ48500秋田色、筆塗り、作るのに3日間で仕上げた、来月もJR 秋田支社.弘前色を予定しています
鉄道模型Nゲージ博物館(北の大地)
0:00 / 0:00
鉄道模型版、鉄道ジャーナル小牛田運輸所はキハの聖地であった、JR奥羽本線キハ581523弘前色.キハ48500秋田色、筆塗り、作るのに3日間で仕上げた、来月もJR 秋田支社.弘前色を予定しています
33 просмотра · 11 часов назад
鉄道模型Nゲージ博物館(北の大地)
1,39 тыс. подписчиков
33 просмотра · 11 часов назад
現代を生きる若い10代から40代、知る事は無いだろう、知らなくてもよい、出逢いの旅は全て模型列車だけになってしまった、トミーテックは本当に素晴らしい、本当の列車好きに模型列車を作ってくれる、列車を見る喜びはこの令和の時代には全て亡い、1991年旅と鉄道.1993年は鉄道ジャーナルなどで廃車、運用が停止する50系客車列車、東北紀行が盛んであった、その写真を観て居るとキハが良く写るのである、以前からキハには興味があった、それはキハ22阿武隈急行色、盛岡暫定色から始まる、キハを好きになる出逢いは三陸鉄道から始まる偶然にも回送されて行く36を長町操で観てしまった、そして三陸鉄道が開業した頃ぐるっと海道3万キロが放送されテレビからは姫神海道を行くが流れ出した、偶然にも仙台、岩沼まで三陸鉄道乗り入れ色キハ58、盛岡色が来るなど興味が惹かれる、ただ残念だったのは1992年に701系秋田地区の客車置き換え、これは一気に楽しみが失くなるのが目に見えたのであった、94年秋には盛岡地区へ701系1000番台、95年に仙台地区7151000の置き換え、次々と好きな車両が淘汰去れて行った、701系秋田色、盛岡色.仙台色は鉄道マニアから敵視されて居た、仙台地区にも701が入り小牛田ー一ノ関はワンマン化が進行して行った、94年までの一ノ関まで455.7151000が走り将に特急街道を彷彿させて居た。95年には郡山ー黒磯も次第に7151000からワンマン701系へと運用が変わって行った。私は観た、1989年秋には烏山線のキハ401000も小牛田に2両転属して来た、あの輝かしいキハを、忘れられない、青森、岩手盛岡、秋田、小牛田、郡山、会津若松、JR弘前運輸所で弘前色に変わり、93年頃、盛岡客車区に転属、後に盛岡色となり、2002年頃、急行色になり最後の活躍をした。キハ48500等も転属が多く、新庄地区で秋田色が観られるなどが点在し、小牛田運輸所に秋田のキハ、水郡線のキハなんでもいるパラダイスであった。92年頃は男鹿線でも盛岡色のキハ40系が連結した編成など、陸羽西、陸東では仙台色と盛岡色の連結編成のキハここまで来ると何がなんだか、わからない、小牛田に来る見慣れないキハは主に郡山工場へ入場待ち、少しの間、検査まで使える、または廃車までそのまま使用され終える車などである。キハ58時代94年の小牛田は本当に楽しかったのである、1997年にキハ110系300番台が秋田新幹線開業で迂回輸送を終えると長野に転属、これは廃車前提にだろう、そして何と飯山色のキハ58.28が小牛田に転属して来た、ごちゃ混ぜ編成が東北各地で観られたのである、小牛田の楽しみはJR 東のキハ地域色が何でも来て居た、況してやあの新潟色キハ58も来て、快速南三陸に入って居たのである仙台色と新潟色、月山色そして増結にキハ23500仙台色が連結されるマニアのための様な列車であった、キハ101が左沢線に出揃うと左沢線のキハ40500は小牛田地区でも観られる様になり、石巻線での運用がキハ23500またはキハ28指定席が普通列車で入る事も有り、楽しい時代であった、