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2.”のびる” 男声合唱組曲「季節へのまなざし」より (作曲:荻久保和明 / 作詩:伊藤海彦)

夢プラス

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2.”のびる” 男声合唱組曲「季節へのまなざし」より (作曲:荻久保和明 / 作詩:伊藤海彦)

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多重録音による一人男声四部合唱 https://kubotahall.seesaa.net/article... 組曲の第2曲目です。 この組曲の混声版を知っている方にとっては、この男声版の”のびる”を聴くと、あちらこちらで何かしら違和感を感じるかもしれません。 そこで、この曲については、まず混声版と男声版の相違点について言及していこうと思います。 ピアノの前奏は、混声版でも男声版でも全く同じなのですが、バスパートが歌い出す「陽ざし はじけ」の繰り返しのフレーズの音が異なるのです。混声版ではここの「陽ざし はじけ」は固定ドで表現すると「レ・ミ・ファ・ファ・ソ・ファ」なのですが、男声版ではこれが「シ♭・ド・レ・レ・ミ・レ」となっているのです。また、混声版には音符に何も付されていないのですが、男声版では全ての音符に「・」(スタッカート)が付されています。 続く「草の穂はのび」の部分の音符にも混声版では何も付されていませんが、男声版では「の」に「>」(アクセント)が、そして「び」には「-」(テヌート)が付されています。 さらに、続く「葉をかさね 枝をのばし それはのびる」と、同時に歌う「陽ざし はじけ」の部分の男声版には全ての音符に混声版にはない「>」(アクセント)が付されています。また混声版と男声版ではその部分の”cresc.”と”accel.”の開始のタイミングも異なり、混声版では”poco a poco cresc. e accel.”と表記していますが、男声版では”cresc. ed accel. poco a poco”となっています。この”accel.”している時に歌う旋律の「青い彼方(かなた)」の「た」の音程も混声版ではソプラノの”F”ですが、男声版ではバリトンが歌う”Es”です。 ”Allegro vivace”に入ってからの「葉をかさね 枝をのばし」の部分も、男声版では全ての音符に「>」(アクセント)が付され、「それはのびる」の主旋律の1小節後に続くリフレイン部分は、混声版ではソプラノが「ソ・ソ・ソ・ソ・シ♭・ソ」「ラ・ラ・ラ・ラ・ド・ラ」、アルトが「ミ♭・ミ♭・ミ♭・ミ♭・ソ・ミ♭」、「ファ・ファ・ファ・ファ・ラ・ファ」であるのに対して、男声版ではトップテノールが「レ・レ・レ・レ・ミ♭・シ♭」、「ミ♮・ミ・ミ・ミ・ファ・ド」、バスが「シ♭・シ♭・シ♭・シ♭・ド・シ♭」、「ド・ド・ド・ド・レ・ド」と歌います。 そしてこの”Allegro vivace”の「青い彼方、彼方」と歌う部分の主旋律は、混声版ではソプラノの「ソ・ド・シ♭・ド・シ♭・レ♭・ミ♭・レ♭・ファ♮」ですが、男声版ではトップテノールの「ド・ミ・レ♯・ファ♯・ミ♯・ミ♮・ソ・ファ♮・ラ」になります。 さらにこの後、混声版では「O」母音から「U」母音に変わるのですが、男声版では「オ」母音は出て参りますが、「ウ」母音はありません。音程が変化するタイミングも微妙に異なります。 次に無伴奏で歌う「彼方のむこうにみえてくる自分 自分のなかにみえている彼方」は、混声版も男声版も同じ和声進行のようですが、男声版の「じぶんのなかに」の「ん」のトップテノールの音程”E”が明らかに楽譜のミスプリントのようで、この音は混声版と同じく”Es”であると思われます。 ただ、この部分の速度曲想指定が混声版では”Andantino ma non tardo”(アンダンティーノ、但し遅すぎず)という指定があるのに対し、男声版では”Adagio dolce e lontano”(アダージョ やわらかく、遠くから聞こえるように)という指定に変わっており、明らかに男声版では速度をより遅くするようになっています。 なお、ここのフレーズの最後の「かなた」と歌う部分は、混声版では、”poco riten.”+音符に「-」(テヌート)+”a tempo”がありますが、男声版では「-」(テヌート)は残っているものの、”poco riten.”と”a tempo”は削除されています。男声版の方が全体的にテンポを遅くしているようなので、”riten.”までは必要ないと考えたのかもしれませんが、私は曲想的にはやはりここは少しさらに遅くした方がいいと判断しましたので、「-」(テヌート)の範囲であるという解釈で、やはり多少遅くしています。 なお、後半にも「自分のなかの彼方」の箇所でも「かなた」がありますが、こちらは混声版でも男声版でも等しく”riten.”+音符に「-」(テヌート)+”a tempo”があります。(”poco”はどちらも付いていません。) 続く”Allegretto”の「みえる みえない みえない みえる」から”Presto”に入る時、混声版では印象的な「WA」と発音する四分音符があるのですが、男声版ではそれが無くなっています。 この”Presto”に入ってから「鳥たちが翼をためす 空の深さ」が始まり、続く「その空に そそり立つ 雲のまぶしさ」の「雲のまぶしさ」の部分では、男声版では新しくトップテノールの”ア”母音によるオブリガートが追加されています。続く「若い心は のびあがり」は、混声版では「のびあがり」の部分だけに「>」がありますが、男声版ではそれに加えて「若い心は」の部分にも「>」があります。 ”Presto”の速度のまま無伴奏で「tu・tu・tu・tu」「ウ(U)」と歌う中で「その眼をみはり」をパートが変わって2回歌う部分があるのですが、その1回目は混声版ではバスが、男声版ではセカンドテノールが歌い、その旋律はどちらも同じなのですが、2回目の混声版のアルトが歌う旋律は「ド♯・レ♯・ミ・レ♯・シ・ド♯・レ♯」であるのに対し、男声版のバリトンが歌う旋律は「レ♯・ミ・ファ♯・ミ・ド♯・レ♯・レ♯」に変更されています。 ”Gradioso”のオ(O)母音で歌う部分は、混声版では「O」の音符に”f”・短いディクレッシェンド・”mp”という指定がありますが、男声版では「O」ではなく「Om」となり、強弱記号は”f”だけになっています。 その後の「彼方のむこうの 見知らぬ自分」の部分では、ここでも男声版のトップテノールに新たなオブリガートが追加されています。 「陽ざしのなかで きらきらと すべてはそだち すべてはのびる 遠い 遠い はるかな自分に Wao」の「すべてはのびる」の旋律が混声版では「ラ・ファ・ファ・ファ・ファ・ラ・レ」であるのに対し、男声版では「レ・ラ・ラ・ラ・ファ・ラ・レ」となっており、「遠い遠いはるかな」の旋律も混声版が「ソ・ラ・シ♭・ラ・シ♭・ド・ミ・レ・レ♭・レ♭」であるのに対して、男声版では「シ♭・ド・レ♭・ド・レ♮・ミ♭・ソ♭・ファ・ミ♭・ミ♭」となっています。 また、混声版では「すべてはのびる」の箇所から”cresc. e accel. poco apoco”の指定がありますが、男声版では1回目の「遠い」から”cresc. poco a poco”があり、1小節遅れて2回目の「遠い」から”accel.”の指定があります。 「Wao」の部分は、混声版では始まりの音だけを指定してポルタメントで下降した先の音程は特に示されておりませんでしたが、男声版ではその歌い終わりの音程もしっかりと指定されています。しかしながら、ここはテンポも速いので、実際に正確に歌えているのかどうかは、歌った後の録音を聴き返しても正直なところよく判りません。 曲の最終部分で「はじけ」を5回、徐々に弱く歌うようになっていますが、混声版ではバスのみが”mf”から”dim.”を開始し、”mp”を経て最後は”p”とするような指定がありますが、男声版ではバリトンとバスがユニゾンで最初の3回は音符の全てに「>」が付され、1回目は”f”、2回目は”mf”、3回目は”mp”の指定があり、4回目と5回目は「>」ではなく「・」(スタッカート)に変わり、”p”が指定されています。バスの最後の音(「はじけ」の「け」)は混声版も男声版もバスの”D”(へ音譜表の下第二間)ですが、今回何とか絞り出しました。 男声版の楽譜で面白いのは、その時同時に歌うバリトンの「け」が「×」符頭の無声音となっており、”D”音はバスには出せてもバリトンには無理な場合が多いので無声音にしたのか、あるいはバスが”D”の音を出せたとしても母音を響かせるのが精いっぱいで、子音をバリトンが補うようにしたのかのどちらか、あるいはその両方の意図があったのではないかと思っています。 *************************************** さて、次に歌詩の解説を行います。 中心となるテーマは、「生命の伸長」「視野の拡大」「自己の内側と外側の往復」といったところでしょうか。 詩の中に、「草」・「蔓」・「樹液」・「葉」・「枝」・「鳥」・「雲」といった、どれも〔上へ、外へ、広がる〕ものが次々に置かれています。これは、ただ植物の成長を描いているだけではなく、世界そのものが伸びていく季節の気配を描いているようです。 「陽ざし はじけ 草の穂はのび 蔓はのび」の部分は、強い陽光がきっかけになって、草木が一斉に伸び始める場面です。自然界のエネルギーが外へ放たれる感じがあります。 「樹液はのぼる 葉をかさね 枝をのばし」の部分は、目に見えない内側の力が上へ向かい、形として外に現れていく描写です。成長の“内部”と“外形”がつながっています。 「それはのびる それはのびる 青い彼方」の部分は、単なる反復ではなく、成長が止まらないこと、そしてその先にある未到の世界への憧れを示しています。 「彼方のむこうにみえてくる自分 自分のなかにみえている彼方」の部分は、外の世界を見つめることがそのまま自分を発見することにつながっています。逆に、自分の内側にある感覚が外の未来を照らしている、という事でもあります。「彼方」とは、遠い場所というより、まだ言葉にならない未来の可能性を暗示しているようです。 「みえる みえない  みえない みえる」の部分は、はっきりと分からないものが、かすかに輪郭を持ち始める瞬間です。思春期的な揺れや、世界認識の揺らぎも感じられ、「みえる みえない」という往復は、確信と迷いが入り交じる若さの感覚に近いと思います。 「鳥たちが 翼をためす 空の深さ その空にそそり立つ 雲のまぶしさ」の部分は、鳥は自由や飛翔の象徴で、翼を“ためす”という言い方には、可能性を確かめる若さがあります。また、「空の高さ」ではなく「空の深さ」としているところが、その言葉通りに深淵な意味を含み、まだ測りきれない世界の広がりを意味しているようです。 「若い心はのびあがり その眼をみはり」の部分は、肉体の成長だけでなく、心が世界へ反応し、驚きながらその心の眼が開いていく様子を表しているようです。 「彼方のむこうの 見知らぬ自分 自分のなかの 見知らぬ彼方」の部分は、成長の先にいるのは、今の自分でも想像しきれない新しい自分であるという事でしょう。ただ、ここには少し不安と期待が同居しているような印象を受けます。 「陽ざしのなかで きらきらと すべては育ち すべてはのびる」の部分は、陽光の中で、自然もそして自分自身も輝きながら成長していく様子です。 「遠い遠い はるかな自分に」の部分は、結末は“完成した自分”ではなく、まだ届ききらない未来の自己へ向かう余韻を残しているかのようです。 続きがありますが、文字数制限があるため詳しくはブログをご参照下さい。ブログには混声版と男声版の相違点を楽譜でも確認できるようにしています。 ↓ https://kubotahall.seesaa.net/article... クボタホール・ホームページ:http://www7b.biglobe.ne.jp/~kubota-hall/