羽柴秀吉は、なぜいちばん遠くから間に合ったのか|中国大返し230kmと山崎の戦いを地図で【1582】
地図で追う日本史
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羽柴秀吉は、なぜいちばん遠くから間に合ったのか|中国大返し230kmと山崎の戦いを地図で【1582】
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羽柴秀吉は、本能寺の変のとき、織田の重臣の中でいちばん遠い備中にいました。それなのに、なぜ光秀を討つのに間に合ったのか。
史料と研究をもとにした歴史の解説です。人物の顔と挿絵は想像図です。最後の章は、史実をもとにした「もしも」の検証です。
天正10年(1582年)6月2日、信長が本能寺で倒れたとき、織田の軍勢は北陸・関東・堺・大坂・備中に散らばっていました。全国の地図に武将の顔を置き、近い者がなぜ動けず、いちばん遠い秀吉がどう引き返したのか、山崎の戦いまでの11日間を盤面で追います。山崎の戦場は、地形を立体の地図にして見ています。
最後の章では、秀吉が6月5日に書いた手紙を分かれ道に、「もしも摂津の三人が光秀についていたら」を盤面で試します。
0:00 本能寺の朝と、通説の大返し
1:49 第一章 六月二日の盤面
4:25 第二章 間に合わなかった者たち
8:30 第三章 備中高松の四日間
11:11 第四章 二百三十キロ
13:07 第五章 光秀の十一日
16:49 第六章 山崎
22:01 第七章 もしも、摂津の三人が光秀についていたら
25:31 結び 清洲会議へ
26:12 エンディング
主な出典
・東京大学史料編纂所編『大日本史料』第十一編之一・之二(兼見卿記・多聞院日記・家忠日記・言経卿記・蓮成院記録、秀吉の書状〈梅林寺文書ほか〉、光秀の覚書〈細川家文書〉、フロイス書翰など)
・太田牛一『信長公記』
・服部英雄「ほらの達人 秀吉・『中国大返し』考」(2015年)
・馬部隆弘「山崎の合戦と池田恒興」『中京大学文学部紀要』第60巻第2号(2026年)
・藤井讓治「越前に出された秀吉の禁制」『福井県文書館研究紀要』14(2017年)
・地形:AWS Terrain Tiles 国境:国土数値情報(国土交通省)
大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、第28回「急げ!秀吉」と第29回「天下への道」で描かれた出来事です。
(NHKおよび番組とは関係のない、個人の歴史解説です)
次に見たい大名や合戦、試してほしい「もしも」を、コメントで教えてください。
#羽柴秀吉 #中国大返し #山崎の戦い