江戸東京写真帳161:国立博物館4
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江戸東京写真帳161:国立博物館4
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散歩写真スライドショー、上野、#国立博物館 に入って、すぐ左に、黒門の内側を通って、現代建築の#法隆寺宝物館 に入る。金剛灌頂幡がある。古代仏教の式典に使われた。暗いので、見づらい。金剛仏、光背、押出仏などがある。観音菩薩立像が、ケースに入って、たくさん並んでいる。奥に、いろんな仏像がある。二階で、漆工、金工、書画、染織を見る。仏具が多い。外に出て、裏庭に回る。茶室の、#六窓庵 、#転合庵 、#春草廬 がある。戸は閉まっていた。書院の#応挙館 、居室の九条館があるが、立入禁止であった。#西洋美術館の前庭 を見て帰る。
灌頂とは、仏教で頭に水を注ぐ重要な儀式を意味する。
天蓋(てんがい)、仏像や仏堂の上に設ける覆い、飾り。 インドで、貴人や仏の頭上に差しかける傘、日除け。仏教で、仏像の頭上を飾る。日本の寺院で、仏像、須弥壇の上に、本堂の天井から吊り下げる。
#金銅仏 は、金メッキをした銅製の仏像。法隆寺献納宝物のものは、像高が30、40センチと小さく、豪族らが個人的に礼拝したものという。7世紀の制作で、朝鮮半島の像も含まれる。聖徳太子や蘇我氏と関係の深い、止利仏師の工房の作、 童子のような愛らしい像などもある。
止利仏師(とりぶっし)、飛鳥時代を代表する仏師。「鞍作止利」と呼ばれる。6世紀末から7世紀前半に活躍した。渡来系氏族、鞍作氏の出身。代表作として、法隆寺金堂の釈迦三尊像。623年(推古31)に造られた。止利様式は、身体が細長く、左右対称性が強い。衣文が規則正しく、左右に流れる。杏仁形の大きな目、厳格な表情、舟形光背を伴う。正面性が強く、動きが少ない。
摩耶夫人および天人像、飛鳥時代、7世紀、木造彩色、中央に、釈迦の母である摩耶夫人、その周囲に天人を配した。摩耶夫人は、釈迦の母。釈迦を出産した7日後に亡くなった。亡くなった後に天上から降りてきて、釈迦の誕生を祝福し、周囲を飛び回る天人を表している。飛鳥時代の仏教彫刻らしい、動きのある表現を見る。
水火共取玉、奈良時代、8世紀、水晶と琥珀で作られた12個の玉、丸形、角形、平たい形、露形、瓶形など、さまざまな形があり、網状の組紐が付いている、装身具として使われた。聖徳太子が5、6歳のころに持っていた愛玩品と伝えられる。
如意、平安時代、「意のままになる」という意味。柄の先端が、雲や霊芝(れいし、キノコ)のような形になっている。僧侶が手に持つ。古代中国で、孫の手のような道具を「如意」と言った。法会や説法などで、僧侶が持つ。意味は、仏法を自在に行う、智慧が自在に働く。高僧の肖像では、如意を手に持った姿で表されている。
錫杖(しゃくじょう)、鎌倉時代、13世紀、長い柄の上部に、金属製の輪(鐶、かん)を付けた杖。歩くと輪が触れ合って、音がする。音を立て、虫などの小さな生き物を避ける。歩いていることを知らせる。杖として身体を支える。仏教儀礼に用いる法具となり、仏像で、特に地蔵菩薩が持っている。六道を巡り、人々を救済する菩薩という。
#海獣葡萄鏡 (かいじゅうぶどうきょう)、隋、唐時代、7世紀、銅製、背面の中央に鈕(ちゅう)を置き、周囲に獅子や鳥などと、葡萄唐草文を鋳出した銅鏡。中国の隋、唐時代に盛んに作られ、日本に伝来した。海獣は、想像された動物という意味である。葡萄文は西方から伝わった葡萄文化の影響を示す。海獣と葡萄唐草を組み合わせた意匠は、東西文化の交流が表れている。
#海磯鏡 、白銅製鋳造、唐または奈良時代、8世紀、海辺の岩や島、樹木、鳥などを表した。海と磯の風景を表現した。立体的な山水景観が表され、自然の情景を文様として取り入れた。
金工は、仏具、仏教関係の用具が中心をなし、用途によって供養具、僧具、密教法具、梵音具などある。飛鳥時代から奈良時代を中心に、江戸時代にまでおよぶ。中国や朝鮮半島で制作されたもの、わが国で制作されたものも少なくない。器形や装飾意匠に古代ペルシアと唐時代の中国との交流が認められる#竜首水瓶 、わが国最古の柄香炉とされる鵲尾形柄香炉、天平8年(736)に光明皇后が、法隆寺に奉納したことが知られる海磯鏡、聖徳太子が「法華義疏」を執筆する際に用いたとの伝承をもつ墨台、水滴、匙など、金工品を代表する名品である。
五綴鉢(ごてつのはち)、鉄製鍛造、奈良時代、8世紀、僧侶が托鉢や食器として用いた。質素を旨とする仏教の規定から、鉄鉢または瓦鉢を用いた。破損しても修理して使うとされた。修理の跡が作品の歴史になっている。
匙、金銅鋳造鍍金、奈良時代、8世紀、食事や調理などに用いる。金銅製で、表面に鍍金(金めっき)が施されている。法隆寺献納宝物に、聖徳太子が「法華義疏」を執筆する際に用いたと伝承をもつ墨台、水滴、匙が伝わっており、本品もその一つとされる。
鋺(まり)、金銅製鋳造、奈良時代、8世紀、古代の金属の碗、鉢形の器。食事や飲み物を入れる器、寺院で使う供養、仏事の器などに用いた。
八重鋺(やえまり)、響銅製鋳造、奈良時代、8世紀、入れ子状の構造、口の直径が少しずつ違う複数の金属製の椀が、順番に重ねられる(入れ子)ようになっている。8つの碗のセット。 材質、響銅(さはり)、銅が約80%、錫が約20%の合金で、鋳造によって作られる。澄んだ音が響くことから「響銅」と呼ばれた。
#鵲尾形柄香炉 (じゃくびがたえごうろ)、白銅製鋳造、飛鳥時代、7世紀、柄の付いた香炉で、仏教の法会などで香を焚く際に用いられた。香炉の柄の先端が、鵲(かささぎ)の尾のような形をして「鵲尾形」と呼ばれる。日本に現存する最古の柄香炉の一つで、古代の仏教儀礼や金工技術を知る、重要な作品である。
響銅水瓶(さはりすいびょう)、飛鳥、奈良時代(7-8世紀) 響銅(さはり、銅・錫の合金)飲水や手洗い用の水をいれる仏具、容器、古代オリエント、西アジアに源流を持ち、中国や朝鮮半島から日本に伝わった。
法隆寺献納宝物の染織品は、正倉院宝物より古く、飛鳥時代から奈良時代前期の作品が多い。仏事を荘厳するための幡(ばん)をはじめ、僧侶が身につけた糞掃衣(ふんぞうえ)や袈裟、敷物である褥(じょく)など、さまざまな種類がある。幡は、大型の広東綾大幡(かんとんりょうだいばん)や在銘幡(ざいめいばん)など、多様な作品が残されている。用途が分からない残欠(ざんけつ)も数多くある。
糞掃衣、捨てられた布や不要になった布を拾い集め、洗って縫い合わせて、僧侶の衣にする。「糞掃」は、「糞土にまみれたものを掃き集める」という意味、人々が捨てた布を拾って、衣にした。インド仏教で、僧侶が、身につける衣は、質素、無欲な修行生活の象徴とされた。
織物には、錦(にしき)、綴織(つづれおり)、経絣(たてかすり)、綾(あや)、羅(ら)、平絹(ひらぎぬ)などがある。染め物は、「三纈(さんけち)」と呼ばれる三種類の染色技法、纐纈(こうけち)、臈纈(ろうけち)、夾纈(きょうけち)が残されている。刺繍(ししゅう)、組紐(くみひも)、氈(せん)などあり、古代の染織技術と多彩な装飾文化がある。
三纈は、染色技法。纐纈(こうけち)は、 布を糸などで括って染める。「絞り染め」に近い。 臈纈(ろうけち)は、 蝋(ろう)で防染して染める。蝋を置いた部分には染料が入らない。夾纈(きょうけち)は、布を二枚の型板で挟んで染める。左右対称の文様を染め出しやすい。
愛染明王像、絹本著色、鎌倉時代、14世紀、密教で信仰される明王の一尊。赤い身体に六本の腕をもち、強い怒りの表情を示す。愛欲や煩悩を否定するのではなく、悟りへと転じる力をもつ仏。「愛染」の名から、男女の愛情や縁結びの仏として知られるが、密教では、煩悩を仏の智慧へと変える、重要な教えを象徴している。「絹本著色」は、絹地に顔料などで彩色した絵画。鎌倉時代の密教絵画の特徴を伝える。
釈迦三尊像、絹本著︀色、室町時代、15世紀、中央に釈迦如来、左右に文殊菩薩、普賢菩薩を配した三尊像。釈迦如来は、仏教の開祖、文殊菩薩は智慧、普賢菩薩は実践、を象徴する菩薩である。釈迦三尊は、日本の仏教絵画で広く描かれた主題である。
釈迦三尊十六羅漢像、絹本著︀色、鎌倉時代、14世紀、中央に釈迦如来、左右に文殊菩薩、普賢菩薩を配した釈迦三尊、周囲に十六羅漢を描いた仏画。羅漢は、仏教の修行を完成させ、釈迦の教えを守り伝える聖者たちである。「十六羅漢」は、釈迦から教えを託され、仏法を後世に伝える役割を担う聖者で、鎌倉時代以降、盛んに描かれた、仏画の掛け軸である。
阿弥陀来迎図、 絹本著︀色、鎌倉、南北朝時代、14世紀、臨終を迎えた人を救うため、阿弥陀如来が観音菩薩、勢至菩薩などを従えて、極楽浄土から迎えに来る場面を描いた。これを来迎(らいごう)という。阿弥陀信仰の広まり、鎌倉時代から南北朝時代にかけて盛んに描かれた。阿弥陀如来は、死者を極楽浄土へ導く仏として信仰された。「絹本著色」は、絹地に顔料などで彩色した絵画。掛け軸として仕立てられた仏画である。
聖徳太子および五臣像、絹本著︀色、鎌倉時代、13,14世紀、中央に聖徳太子、左右に太子に仕えた五人の臣下を配した肖像画。聖徳太子は冠をかぶり、衣をまとった姿で表され、五臣とともに太子信仰を表す図像である。聖徳太子の肖像は、太子の事績や信仰を伝えるもの、鎌倉時代以降に盛んに制作された。聖徳太子信仰を伝える仏画、肖像画である。
九条館 、京都御所内の九条邸にあった建物、東京・赤坂の九条公爵邸へ移された。 1934年(昭和9)、公家の邸宅にあった書院風の建物。床の間や襖に、狩野派による楼閣山水図が描かれ、欄間の、カリンの一枚板に藤花菱の透かし彫りがある。
応挙館、1742年(寛保2)、尾張国の明眼院という天台宗寺院の書院。円山応挙が、眼病のため明眼院に滞在した際に描いたと伝えられる墨の障壁画があることから、「応挙館」と呼ばれる。天明4年(1784)に描かれたものとされ、複製が設置されている。
六窓庵 、1648-1652年(慶安年間)に、奈良、興福寺慈眼院に建てられた茶室。茶人、金森宗和好みで、三畳台目出炉という小さな茶室。 1877年(明治10)に東京国立博物館へ移築された。窓の取り方が、特徴的な数寄屋建築。周囲に、水屋、寄付、腰掛などがあり、茶会のための露地も整えられている。江戸初期の代表的な「大和の三茶室」の一つ。
転合庵、茶人、大名の小堀遠州ゆかりの茶室。17世紀前半、遠州が京都、伏見の六地蔵に建てた。桂宮から茶入「於大名」を拝領し、披露のためにつくられた。京都、大原の寂光院を経て、1963年(昭和38)、茶入「於大名」と、東京国立博物館へ寄贈された。
春草廬(しゅんそうろ)、春の草の小屋、江戸時代、河村瑞賢が、淀川改修工事の際につくった休憩所。 大阪から横浜の三溪園へ移され、松永安左エ門(耳庵)の柳瀬荘を経て、東京国立博物館へ移築された。入母屋造、茅葺きで、内部は5畳と3畳。小さく素朴な建物。「春草廬」の扁額は、曼殊院良尚法親王の筆とされる。
入母屋造(いりもやづくり)、上部を切妻造のような三角形の屋根とし、その下部を寄棟造の屋根にした形式。「上が切妻、下が寄棟になった複合的な屋根」という形である。
切妻造の、屋根の斜面は2方向 。寄棟造の屋根の斜面が4方向にある。入母屋造は上部が切妻、下部が寄棟である。
「考える人(拡大作)」、上野の国立西洋美術館の前庭、オーギュスト・ロダン作、ブロンズ彫刻、。ロダンの大作「地獄の門」の頂上で構想されたものを、後に、単体の作品として拡大、鋳造された。
「カレーの市民」、オーギュスト・ロダン作、「人間は犠牲を前にして、何を思い、どう行動するのか」を表した。
「地獄の門」、オーギュスト・ロダン作、ダンテの「神曲」地獄篇を主題として、上部には有名な「考える人」、左右に「アダム」と「イヴ」の像も配置されている。「神曲」は、人間の罪、苦悩、愛、政治、社会、そして救いを描いている。