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九州攻め 完全図解|大河「豊臣兄弟!」ではほぼ描かれなかった秀長最大の手柄 島津が一夜で崩れた根白坂の戦い

図解・戦国

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九州攻め 完全図解|大河「豊臣兄弟!」ではほぼ描かれなかった秀長最大の手柄 島津が一夜で崩れた根白坂の戦い

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天正十五年(1587)、豊臣秀吉は二十万ともいわれる大軍で九州へ攻め込み、九州のほとんどを手にしていた島津氏を降伏させました。 このとき、島津の主力を破る決戦を戦ったのは、秀吉の弟・豊臣秀長の軍でした。日向の高城を囲み、根白坂の砦で島津の夜襲を打ち破った戦いです。 島津の台頭、大友宗麟の大坂訪問、戸次川の大敗、秀吉と秀長の二つの進路、根白坂の戦い、泰平寺の降伏と九州の国分まで。オリジナルの地図アニメーションと図解でまるごと解説します。 ▼チャプター 0:00 オープニング 0:53 第一章 九州の覇者・島津 1:46 第二章 宗麟、大坂へ 2:28 第三章 戸次川の大敗 3:21 第四章 二つの道 4:42 第五章 高城と根白坂 6:12 検証一 島津を降したのは秀吉か秀長か 7:03 検証二 二十万の大軍は本当か 7:44 第六章 泰平寺の降伏 9:02 まとめ 9:33 今日の名言「内々の儀は宗易、公儀の事は宰相存じ候」 ▼この動画について ・地図・図解は、当チャンネルのオリジナルです。九州と日向の地図は模式図です。部隊の進路や砦の位置は、経過を説明するための概略です。 ・日付は旧暦(和暦)です。兵力(遠征全体20万・25万、秀長の方面軍15万・10万・8万、根白坂の島津勢2万・3万5千など)は資料によって数字が異なります。 ・高城の兵糧攻め、根白坂の砦と空堀、島津の夜襲と敗北、義久の和睦の申し入れ、泰平寺での降伏、5月13日付の秀吉から秀長への条々、九州の国分などは、自治体の解説や百科事典、関係する研究の整理を参考にしました。 ・尾藤知宣が深追いを止め、のちに罰せられたという話や、戸次川の先発隊が「待て」の命令に背いた話は、伝わる話として紹介しています。 ・今日の名言は、天正十四年四月六日付の大友宗麟の書状(『大友家文書録』)に見える言葉です。秀吉の言葉か秀長の言葉かは、説明が分かれています。和田裕弘『豊臣秀長』(中公新書)なども参考にしました。 ・2026年の大河ドラマとは関係のない、当チャンネル独自の解説動画です。 ▼クレジット ナレーション:運営者本人の声をAI音声合成(Fish Audio)で使用 BGM:当チャンネルのオリジナル 地図:国土数値情報(行政区域データ・国土交通省)をもとに作成 肖像画:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)  豊臣秀長像/豊臣秀吉像/大友宗麟像/小早川隆景像 あなたは、九州攻めのいちばんの功労者は誰だと思いますか?ぜひコメントで教えてください。 前回「金ヶ崎と姉川 完全図解【総まとめ】」もあわせてどうぞ →    • 金ヶ崎と姉川 完全図解【総まとめ】妹の夫・浅井長政の裏切りに信長はどう返した?小豆袋...   チャンネル登録もよろしくお願いします。 #九州攻め #豊臣秀長 #豊臣兄弟 #根白坂の戦い #島津義久 #豊臣秀吉 #大友宗麟 #戦国時代 #日本史 #図解・戦国