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黒田官兵衛を変えた二つの入城|有岡城の幽閉と小田原開城交渉

偉人の光と闇

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黒田官兵衛を変えた二つの入城|有岡城の幽閉と小田原開城交渉

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戦国の黒田官兵衛は、なぜ九州平定後の恩賞が十二万石だったのか。有岡城での拘束から備中高松、九州の交渉まで、秀吉を支えた仕事と生涯を追います。 ▼関連する人物伝の再生リスト 豊臣から徳川へ|天下をめぐる決断と代償    • 豊臣から徳川へ|天下をめぐる決断と代償   日本史シリーズ|天下人と、敗れた者たち    • 日本史シリーズ|天下人と、敗れた者たち   播磨での出自から有岡城での拘束、備中高松、九州での役割まで。史料で確認できる事実と後世の描写を分け、生涯を一本でたどります。 この男の仕事は、城を攻めずに開けさせることでした。備中高松の水攻めのあと、主君の死を伏せたまま毛利と和睦を結び、背中の安全を作ってから引き返させています。戦が終われば国境の線を引き、大坂城の縄張りに関わり、小田原では城の中に入って戦わずに開けさせました。九州では、本隊が着く前の半年を手紙だけで動いています。秀吉は援軍として送った武将たちに「官兵衛の指示に従え」と命じました。石高でも位でもなく、仕事の中身で任されていた人です。ところが恩賞は、十二万石でした。 その理由を語る記録は三つあります。宣教師側の報告、江戸中期の『黒田家譜』、そして幕末から明治にかけて編まれた『常山紀談』や『名将言行録』。三つとも違うことを言い、書かれた時代もまるで違います。「あれに百万石を与えたなら、途端に天下を奪ってしまう」という有名な一節が、どの本にいつ現れたのかも本編で確かめます。あわせて、豊前で起きた城井鎮房の一件、数え四十四での隠居、朝鮮での剃髪と「如水」という名の由来、そして関ヶ原の年に九州で兵を集めたときの本人の書状まで読みます。九月十九日に中央の決着を知ったあと、この男が何をしたのか。答えは、後半にあります。 ▼あわせて見たい人物の生涯 豊臣秀吉    • 豊臣秀吉|速さと銭で天下を取った男の生涯と、その代償   明智光秀    • 明智光秀の生涯|無名から信長の重臣へ、本能寺とその最期   織田信長    • 織田信長の生涯|勝利を広げた家臣への信頼と、本能寺の死角   石田三成    • 石田三成、関ヶ原でなぜ味方は動かなかったのか|豊臣を支えた生涯   ▼チャプター 0:00 オープニング 2:33 姫路の家老の子 4:37 三百で三千を返した日 6:31 岐阜で刀をもらう 8:38 姫路城を明け渡す 10:52 息子を人質に出す 12:54 有岡城へ入る 15:06 一年の闇 17:51 播磨が終わる 19:57 高松城の水 22:05 六月二日 24:13 十日で戻る 26:46 国境線を引く 28:45 大坂城の縄張り 30:50 四国とシメオン 33:00 九州を先に切る 35:15 豊前六郡 37:31 中津の血 39:40 四十四で隠居する 41:48 朝鮮で剃髪する 44:03 恐れられた男 46:40 中津の金蔵 49:01 石垣原 51:15 十月の書状 53:36 水の如し 56:03 総まとめ ▼注記 ・本編は同時代の書状・宣教師の報告など当時の記録を中心に構成し、『黒田家譜』(江戸中期)や『名将言行録』『常山紀談』など後の時代にまとめられた話は、その旨を明示したうえで扱っています。 ・有名な逸話の多くは江戸時代以降の編纂物が初出であり、本編ではその出典の新しさを明示しています。 ・年齢はすべて数え年です。 ・人名・地名の読みは慣用にしたがっています。 ・石高の現代換算は基準の取り方で大きく変わるため、幅をもたせた目安として一度だけ触れています。 ・史料によって記述が分かれる点、後世の解釈が加わっている点については、本編中でその旨を明示しています。 ・映像に登場する情景・人物の姿は史料をもとにした想像図であり、実在の肖像ではありません。 ・本動画は制作にあたりAI(音声合成・画像生成)を使用しています。 ▼クレジット 音声:VOICEVOX:青山龍星 BGM・効果音:Mixkit ほか #黒田官兵衛 #黒田如水 #黒田孝高 #戦国時代 #豊臣秀吉 #有岡城 #備中高松城 #水攻め #石垣原の戦い #関ヶ原の戦い #黒田長政 #軍師 #日本史 #戦国武将 #偉人の光と闇