日雲神社 倭姫命と聖武天皇
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日雲神社 倭姫命と聖武天皇
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【日雲神社 ―甲可日雲宮から紫香楽宮へ―】
滋賀県甲賀地域・信楽に鎮座する日雲神社。
御祭神は、天地開闢のはじめに現れた神とされる
**天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)**です。
日雲神社の由緒で特に注目されるのが、伊勢神道五部書の一つ『倭姫命世紀』に記される
「甲可日雲宮(こうかのひくものみや)」
との関係です。
伝承では、天照大御神の御杖代として各地を巡った倭姫命が、伊勢へ向かう途中に奉斎した「甲可日雲宮」が、この日雲神社の起源であるとされています。
倭姫命の巡行伝承をたどると、甲賀・信楽の地が、古くから神を奉斎する特別な場所として意識されていたことがうかがえます。
そして興味深いことに、それから数百年後、この信楽の地は再び日本古代史の重要な舞台となります。
奈良時代、聖武天皇による
紫香楽宮(しがらきのみや)
の造営です。
天平14年(742)、聖武天皇はこの地に離宮の造営を始めました。
翌天平15年(743)には、盧舎那大仏造立の詔を発し、その造立地として近江国甲賀郡紫香楽村が選ばれました。
信楽には宮殿だけでなく、甲賀寺、大仏造立に関わる施設、官衙、工房などが整備され、やがて一大国家拠点へと発展していきます。
天平17年(745)には紫香楽が「新京」と呼ばれ、事実上の都としての性格を持つまでになりました。
日雲神社に伝えられる甲可日雲宮と、奈良時代の紫香楽宮に直接の歴史的連続性が確認されているわけではありません。
しかし、
倭姫命と甲可日雲宮。
そして聖武天皇と紫香楽宮。
時代を隔てながら、同じ甲賀・信楽の地が、日本の祭祀と国家の歴史に繰り返し登場していることは、大変興味深いものがあります。
日雲神社は、かつて牧・宮町・黄瀬の三村の氏神でした。
鎮座地が小字「上野」であったことから、
「上野山天神」
とも呼ばれていました。
また、別当寺として天徳寺がありましたが、明治時代の神仏分離によって廃寺となりました。
文政5年(1822)、宮町・黄瀬は氏子区域から離れ、現在は牧地区を中心とする氏神として崇敬されています。
明治9年(1876)10月には村社となり、明治18年(1885)に許可を得て、現在の
「日雲神社」
へと社名を改めました。
現在の本殿は、元禄4年(1691)の再建と伝えられています。
境内には、
八幡神社
春日神社
雨宮神社
などが祀られ、境外には厳島神社、鹿島神社があります。
そして、日雲神社を代表する伝統行事が
「太鼓踊り」
です。
現在の形が整ったのは江戸時代中期頃と考えられ、氏子の青少年によって奉納されてきました。
音頭取り数人、踊り子20数人、そして進行を担う「しんぽうち」1人によって構成されます。
社前の広場中央に篝火を焚き、その周囲を夕方から深夜まで踊り続けます。
現在も、
道ゆき歌 6曲
踊り歌 11曲
が伝えられており、地域の人々によって守り継がれてきた貴重な民俗文化です。
太鼓踊りは、滋賀県の選択無形民俗文化財にも位置づけられています。
【主な祭礼】
5月5日
9月4日 太鼓踊り
倭姫命の御巡行伝承。
甲可日雲宮。
聖武天皇が造営した紫香楽宮。
そして、今も地域の人々によって守られる日雲神社と太鼓踊り。
日雲神社を訪ねることは、一つの神社の歴史を見るだけではありません。
古代の伊勢信仰から奈良時代の国家事業、そして現在へと続く地域の信仰まで、甲賀・信楽に重なった長い歴史をたどることでもあります。
ぜひ映像とともに、日雲神社、そして甲賀・信楽の歴史をご覧ください。
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