政党内閣が終わった日曜日の夕方 ── 五・一五事件|歴史の現場 第6回
歴史の現場
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政党内閣が終わった日曜日の夕方 ── 五・一五事件|歴史の現場 第6回
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▶ 歴史の現場 本編(第1回から順に): • 歴史の現場 本編
日本で、選挙で多数をとった政党が内閣をつくる時代は、1932年5月15日の夕方に終わりました。五・一五事件です。
日曜日の午後5時すぎ、海軍の若い将校と陸軍士官学校の生徒が首相官邸に乗りつけ、76歳の首相・犬養毅を撃ちました。同じ夕方、内大臣の官邸や政党の本部、銀行にも手榴弾が投げられ、郊外では農民の一隊が変電所を襲いました。
恐慌に苦しむ村、海軍の若い将校たちの計画、日曜日の官邸、そして法廷。撃った側には減刑を求める嘆願書が全国から届き、首相の政党の内閣は、戦争が終わるまで戻りませんでした。
海軍の若い将校たちは、なぜ首相を撃ったのでしょうか。撃った側は、なぜ英雄のように讃えられたのでしょうか。
その「現場」を、3Dで再現しながらたどります。
■ 目次
0:00 1932年5月15日 日曜日の夕方
1:49 一 恐慌の村
3:43 二 海軍の若い将校たち
6:00 三 日曜日の官邸
8:42 四 同じ夕方の東京
10:47 五 一時の便法
12:39 六 法廷
14:53 七 戻らなかった慣例
■ 本編の事実について
・官邸に着いた時刻は資料によって「午後5時ごろ」「5時半ごろ」「5時27分ごろ」と食い違うため、「午後5時すぎ」と述べています。
・犬養毅の年齢は満年齢(76歳)です。数え年では78歳です。
・「話せばわかる」「問答無用」は辞典の表記です。首相の言葉は、撃った側ののちの証言や、居合わせた家族の話によって言い回しが異なり、最期の言葉でもありません。本編では「〜と伝えられます」と添えています。
・誰が何発撃ったかは資料で分かれるため、言い切っていません。殺害の場面・遺体・負傷した人の姿は描いていません。
・減刑を求める嘆願書の数は資料で大きく食い違うため、辞典の「100万を超える」という言い方を紹介するにとどめています。
・この事件の処理が4年後の二・二六事件を後押しした、という見方は「と言われる」として紹介しています。辞典が挙げる事件の影響は、政党政治の終わり、軍部の発言力の増大など5つです。
・旧首相官邸の玄関の硝子に残る穴が、どの事件のものかは資料に書かれていないため、言っていません。
・地図・位置関係の図は模式図です。
・3Dの映像は再現です。人物の顔・服装・建物の形は実物を写したものではありません。天皇・閣僚・殺された人々の姿は描いていません。
・主な参照:コトバンク「五・一五事件」「犬養毅」「血盟団事件」「昭和恐慌」ほか(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・山川日本史小辞典・旺文社日本史事典・百科事典マイペディア・日本人名大辞典・20世紀日本人名事典ほか)/国立国会図書館「近代日本人の肖像」/神戸大学附属図書館「新聞記事文庫」/小山俊樹(現代ビジネス)/Wikipedia「五・一五事件」「犬養毅」「三上卓」「内閣総理大臣官邸」ほか
■ 写真(Wikimedia Commons)
パブリックドメイン:犬養毅/古賀清志/三上卓/橘孝三郎/大川周明/来日したチャップリン(1932年)/東京朝日新聞 号外(1932年5月15日)/西園寺公望/斎藤実/斎藤首相と閣僚(1932年8月、フランス国立図書館)/『富山日報』1933年11月10日/民間人被告の裁判/犬養毅の葬儀
CC BY 4.0:旧首相官邸 正面玄関の硝子に残る穴 ── 内閣官房内閣広報室(首相官邸ホームページ)
(人物の肖像の一部は国立国会図書館ウェブサイトから転載)
■ 地図
Natural Earth(パブリックドメイン)の海岸線をもとに作成した模式図
■ 3D素材
Poly Haven(CC0)のテクスチャ・空
Sketchfab(CC BY 4.0)
・japan soldier/Japanese Shooter ── Chernov-Egor
・Type 38 Arisaka rifle ── Snijboer
(いずれも改変して使用。海軍の将校は軍服の色を変えています)
■ 音声
VOICEVOX:青山龍星
#歴史 #五一五事件 #昭和史 #犬養毅