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「豊臣兄弟!」に学ぶ日本史 近衛前久の生涯 織田信長と鷹狩をし秀吉を関白にした五摂家筆頭の当主の壮絶な人生 History of JAPAN

歴史JAPAN Kunibo

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「豊臣兄弟!」に学ぶ日本史 近衛前久の生涯 織田信長と鷹狩をし秀吉を関白にした五摂家筆頭の当主の壮絶な人生 History of JAPAN

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戦国動乱の世において、名門五摂家の筆頭でありながら「戦国武将顔負け」の行動力を見せた異色の関白が近衛前久(龍山)である。京都の御簾の奥で儀礼に生きていた従来の公家像を覆し、馬を駆り、鷹を放ち、自ら歴史の表舞台に切り込んでいった。NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも、豊臣政権成立の要として描かれる最重要人物のひとりだ。 天文5年(1536年)に生まれた前久は、わずか19歳で関白・藤氏長者に就任した。しかし、権威のみで実権のない朝廷の現実に限界を感じ、永禄3年(1560年)、現職関白の身でありながら越後へ下向する。上杉謙信と義兄弟の契りを結び、関東の陣営近くで武家秩序の統合を試みるなど、規格外の政治介入を行った。 その後、将軍・足利義昭との対立から都を追われ流浪するが、その並外れた行動力に着目したのが織田信長であった。天正3年(1575年)に帰洛を果たした前久は、信長と鷹狩りや馬術といった共通の趣味を通じて肝胆相照らす仲となる。前久は信長政権の影の外交官として九州諸大名の和平や、泥沼化した石山合戦の勅命講和を見事にまとめ上げた。 だが、本能寺の変により運命は暗転する。自邸が明智軍の銃撃地点の隣だったことから信長殺害への関与を疑われ、出家して「龍山」と号した前久は京都を脱出。かつて官位取得を斡旋した恩義を忘れなかった徳川家康の手厚い庇護を受け、浜松で窮地を凌いだ。 やがて誤解が解けて都へ戻った前久に、最大の歴史的役割が訪れる。天正13年(1585年)、朝廷を二分した「関白相論」の混乱に乗じ、天下人の羽柴秀吉が関白の座を狙った。700年以上も五摂家が独占してきた最高職に農民出身の武将が就くことは前代未聞であったが、前久は秀吉を自らの「猶子(名目上の養子)」として迎え入れた。この前久の決断によって秀吉は藤原氏の身分を獲得し、武家初となる関白政権「豊臣兄弟の天下」が成立したのである。 晩年の前久は銀閣寺の東求堂に隠棲し、友・信長への切ない追悼歌を詠むなど静かな余生を送った。関ヶ原の合戦直後には、深い交流のあった薩摩の島津兵を自邸に匿って救い出す義侠心も見せている。そして徳川の泰平が確立した慶長17年(1612年)、波乱に満ちた77年の生涯を閉じた。自ら動乱の中へ飛び込み、天下人の架け橋となった知の巨人は、今なお強烈な輝きを放っているが・・ 作曲 秋山裕和 http://www.hmix.net/ #nhk大河ドラマ #豊臣兄弟 #近衛前久