「名前を、貸してください」白いセーラー服の娘に頼まれた工場の俺。翌日から娘が名前を呼ばなくなった結果…【感動する話】
最後の証言室
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「名前を、貸してください」白いセーラー服の娘に頼まれた工場の俺。翌日から娘が名前を呼ばなくなった結果…【感動する話】
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最後の証言室
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「名前を、貸してください」
四十六年前、工場の塀ごしにそう言って、日に焼けた教科書を差し出した娘がいました。
去年の暮れ、町から封書が届きました。
昔の糸工場の建物が残っていて、来年から資料館になるといいます。
当時の従業員に、話を聞かせてほしいと書いてありました。
話すことなど、何もありません。
四年いて、切れた糸を結んでいただけです。
それでも押入れから箱を出しました。
箱の底に、あの教科書が入っていました。
四十六年、一度も開けていない本です。
見返しに、名前が書いてあります。
佐野咲子。
その上に、二重線が引いてあります。
線の下に、別の字で書き足してある名前は、私の名前でした。
宮田章一。
私の名前です。
けれど、私の字ではありません。
そもそも私には、この本をもらった覚えがありません。
昭和五十五年。宮田章一は二十歳、町の糸工場で働いて四年目でした。
工場では、工員を番号で呼びます。
そのほうが公平だからです。
名前で呼ぶと、覚えのいい者と悪い者が出る。
私は、三十八番でした。
朝礼で番号を呼ばれ、はい、と返事をする。
そのあとに、誰にも聞こえない声で、小さく続けていました。
「……宮田です」
そのことは、工場の誰にも言っていません。
昼の休みは十五分ありました。
みんなが中庭で寝ているあいだ、私は塀のところに立っていました。
理由はありません。外が見えるからです。
七月の初め、塀の外を白いセーラー服が通りました。
県立高校の三年で、町で一軒しかない医院の娘・佐野咲子。
外れた自転車のチェーンを直したその日から、彼女は私を名前で呼びました。
四年ぶりに名前を呼ばれた日のことを、いまでも覚えています。
彼女は毎日、同じ時刻に塀の前へ来ました。
昼の十五分に合わせるには、学校を早く出るしかありません。
どうやって出ているのかは、聞きませんでした。
「宮田さん。今日も、三十八番でしたか」
それが彼女の口癖でした。
八月の終わりに、彼女は教科書を一冊くれました。
九月に入って、折りたたんだ紙を差し出しました。
「これ、見てください」
私は見ませんでした。
「じゃあ、聞き方を変えます」
そして彼女は、こう言ったのです。
「名前を、貸してください」
「なんに使うんですか」
「言えません」
「言えないものに、名前は貸せません」
その翌日から、彼女は私の名前を呼ばなくなりました。
道で目が合っても、そのまま通り過ぎていく。
声をかけても、すみません、とだけ言って行ってしまう。
医院の娘が工員と話しているのを、学校が止めたのだろう。
私はそう決めました。当たり前だと思いました。
腹は立ちませんでした。
腹が立たないことのほうが、こたえました。
その年の十一月、私は名古屋の工場へ移りました。
見送りはいません。そういうものだと思っていました。
鞄には、返しそびれたあの本を入れました。
なぜ彼女は、あの日から私の名前を呼ばなくなったのか。
なぜ彼女の教科書に、私の名前が書いてあるのか。
見返しの二重線。
資料館に残っていた、当時の従業員名簿。
そして、三年の担任が私的に取っておいた、一冊の綴り。
別々に眠っていた三つの紙が重なるとき、あの日の「名前を、貸してください」の意味が変わります。
誰も罰せられません。
ただ、長すぎた誤解が静かに解けるだけの物語です。
『名前を呼ばなくなった娘』を、どうぞ最後までお聴きください。
あなたを名前で呼んでくれた人は、いま何をしていますか。
思い出したことがあれば、ぜひコメント欄で教えてください。
※本作品はフィクションです。登場する人物・団体・地名等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
※昭和五十五年当時の紡績工場で工員を番号で呼んだこと、勤労青年が夜間の定時制高校へ通ったことは当時の実情に基づいていますが、学校の推薦手続きや資料館での資料公開は物語上の演出です。
※本動画・音声・文章の無断転載、複製、再配布、切り抜きによる再投稿はご遠慮ください。
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