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【三鷹事件】誰も乗っていない電車が駅に突っ込み、6人が死亡した|未解決事件

迷宮事件簿

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【三鷹事件】誰も乗っていない電車が駅に突っ込み、6人が死亡した|未解決事件

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迷宮事件簿
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1949年7月15日の夜。東京の国鉄三鷹駅に、誰も乗っていない7両編成の電車が突っ込みました。 電車は三鷹電車区から動き出し、時速およそ60キロで車止めを突き破り、駅わきの商店街へ。6人が亡くなりました。 国鉄では、この月に2度の大規模な解雇通告が出されたばかりでした。 2回目の通告からわずか3日後、下山事件からは10日後の出来事です。 検察は共産党員による計画的な犯行とみて、国鉄労組の共産党員と、党員ではない元運転士・竹内景助を起訴します。 1950年、東京地裁は共同謀議を「空中楼閣」と退け、党員9人を無罪に。竹内だけが単独犯として無期懲役となりました。 ところが1951年、東京高裁は事実を調べ直さないまま、書面だけで竹内を死刑に変えます。 1955年、最高裁は8対7、1票の差で死刑を確定させました。 竹内は無実を訴えたまま、1967年に東京拘置所で亡くなります。45歳でした。 遺族の再審請求は退けられ続け、2026年2月、竹内の孫が4度目の再審請求を申し立てています。 ▼この動画でわかること ・無人の電車はどう走り出し、どこへ突っ込んだのか(電車区から車止め・商店街までの位置関係) ・事件の3日前に出された2回目の解雇通告と、下山事件との日付の近さ ・逮捕された11人と、7回変わった竹内の供述 ・一審の「空中楼閣」判決、書面だけで死刑に変えた二審、8対7の最高裁 ・この事件をきっかけに、死刑事件の上告審で口頭弁論を開くのが慣例になったこと ・再審請求の争点(2両目のパンタグラフ、供述心理学の鑑定、暗がりでの目撃証言) ・下山事件・松川事件との結末の違い(3件で有罪が確定したのは竹内ひとり) ・単独犯行説・冤罪説・謀略説、それぞれの根拠と弱点 ▼目次 0:00 はじめに 1:02 第一章 無人の電車 2:48 第二章 3日前の通告 4:23 第三章 11人の逮捕 5:37 第四章 空中楼閣 6:36 第五章 書面だけの死刑 7:27 第六章 8対7 8:21 第七章 獄中の竹内 9:41 第八章 4度目の再審請求 11:20 第九章 同じ夏の3件 12:21 考察 3つの見方 14:25 終章 77年後の問い ▼ご注意 ・この動画は、公表・報道されている情報と公開資料をもとに構成しています。 ・確認された事実と、未確認の見方を分けて扱っています。 ・竹内景助氏を犯人と断定する意図も、冤罪と断定する意図もありません(2026年2月に第4次再審請求が申し立てられています)。 ・起訴された共産党員9人、亡くなった6人の方の氏名は扱っていません。 ・「事件の前から大事件のうわさがあった」「直後に共産党の仕業という放送が流れた」「米軍の憲兵がすぐ来た」といった証言は、  いずれも裏づけがとれておらず、確認されていません。 ・竹内氏本人の主張、一審裁判長の後年の回想は、それぞれ本人の見方として紹介しています。 ・ナレーションは音声合成(VOICEVOX:冥鳴ひまり)です。生成AIによる画像は使用していません。 ・情報は2026年10月時点のものです。 ▼この動画で使っている写真について すべて1949年〜1955年に公表された写真で、日本の旧著作権法により保護期間が満了しています (写真の保護期間は発行後10年、暫定延長を含めても1956年末までに公表されたものは消滅)。 出典はいずれも Wikimedia Commons(パブリックドメイン)です。 ・商店街に突っ込んだ電車(『画報現代史』第7集・国際文化情報社 1954年/撮影者不明/1949年7月16日) ・三鷹駅のホームから現場を見る人々(『写真昭和30年史』毎日新聞社 1955年/撮影者不明/1949年7月) ・現場写真の誌面(『アサヒグラフ』1949年8月3日号/朝日新聞社) ・最高裁に詰めかけた人々(『アサヒグラフ』1955年7月6日号/撮影者不明/1955年6月) 迷宮事件簿では、毎週日曜の夜9時、昭和と平成の未解決事件を1件ずつ追いかけています。 前回は「松川事件」。下山事件・松川事件とあわせて、再生リスト「国鉄三大ミステリー」にまとめています。 音声:VOICEVOX:冥鳴ひまり / 図解:すべて自作のベクター描画 / 写真:パブリックドメイン(上記) / BGM:甘茶の音楽工房 #三鷹事件 #未解決事件 #迷宮事件簿 #国鉄三大ミステリー #昭和の未解決事件