【長谷川一夫】顔を斬られた日本一の二枚目|1937年「顔斬り事件」の真相と、黒幕を知りながら問わなかった沈黙の生涯
語られざる生涯
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【長谷川一夫】顔を斬られた日本一の二枚目|1937年「顔斬り事件」の真相と、黒幕を知りながら問わなかった沈黙の生涯
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#長谷川一夫 #林長二郎 #顔斬り事件
長谷川一夫(林長二郎)の顔斬り事件とは何だったのか。1937年、松竹から東宝へ電撃移籍した日本一の二枚目スターが京都で暴漢に顔を斬られた真相、移籍の本当の理由、そして国民栄誉賞に至る時代劇スターの生涯を、昭和映画史の記録から徹底解説します。
1908年、京都伏見の造り酒屋に生まれた一人の少年は、5歳で代役として初舞台を踏み、中村一夫、嵐佳寿夫、林長丸、林長二郎と四度も名を変えながら旅芝居と関西歌舞伎の中で育ちました。門閥を持たない彼に歌舞伎界の天井は低く、1927年、18歳で松竹下加茂撮影所へ。デビュー作『稚児の剣法』は爆発的な人気を呼び、デビュー年だけで18本に出演、翌年の正月には東京駅に1万人を超えるファンが押し寄せます。「眼千両」と呼ばれた潤んだ瞳、踊るように美しい立ち回り、そして1935年『雪之丞変化』の三役。彼のファンを揶揄して生まれた言葉が「ミーハー」だったという事実が、その熱狂の異常さを物語ります。
しかし1937年、松竹から東宝への移籍を決めた彼を、新聞は一斉に「忘恩の徒」と書き立てました。同年11月12日、移籍第一作『源九郎義経』の撮影中、彼は京都で襲われ、左頬を貫通する深手を負います。映画は永久に未完成のまま。再起不能と噂された男は、独自の化粧法で傷を隠し、芸名を本名の長谷川一夫に改めて復帰しました。
この動画では、事件の実行犯と検挙の経緯、噂された背後関係、そして彼自身が「背後関係は探ってくれるな」と警察に願い出た理由までを追います。さらに、黒幕と知りながら死ぬまで交友を続けたという長男の証言、整形を拒み、舞台前に毎回1時間かけて傷を塗り潰し続けた46年間という、知られざる日々にも踏み込みます。
戦時中は「軍国主義的な容貌ではない」と非国民扱いされ、戦後は東宝争議で新東宝設立に参加。大映では『銭形平次』シリーズを看板に育て、1953年『地獄門』でカンヌ国際映画祭グランプリとアカデミー賞外国語映画賞に輝きました。1963年、出演300本を超えて「いい男でなければならない」という理由で映画界を引退。その後はNHK大河ドラマ『赤穂浪士』の大石内蔵助、宝塚歌劇『ベルサイユのばら』初演演出で新たな伝説を残します。
1984年、最愛の妻を見送った直後に急速に衰え、4月6日に逝去。俳優として史上初の国民栄誉賞は、棺の中の彼に贈られました。栄光の裏にあった沈黙と仮面の物語を、どうぞ最後までご覧ください。
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