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【北の富士勝昭・玉の海正洋】入院した盟友の綱を借り、型の違う不知火の土俵入りを務めた ― 史上ただ一人の横綱

相撲伝説と闇

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【北の富士勝昭・玉の海正洋】入院した盟友の綱を借り、型の違う不知火の土俵入りを務めた ― 史上ただ一人の横綱

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相撲伝説と闇
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「【親友の死と疑惑の一番】北の富士勝昭 ep2 | 玉の海急逝で涙が涸れるまで泣いた横綱——"かばい手"貴ノ花戦の真実、千代の富士を育てた名伯楽、そしてNHKの声になるまで」 1971年(昭和46年)10月11日。 一本の訃報が、角界を凍りつかせた。 横綱・玉の海、死去。享年27。 虫垂炎の手術後の、肺血栓——あまりにも突然の、現役横綱の死。 その報せに、誰よりも打ちのめされた男がいる。 同じ日に綱を張り、「北玉時代」を共に築いた、もう一人の横綱—— 北の富士勝昭である。 葬儀で、人目もはばからず涙が涸れるまで泣き続けたその姿を、 角界は今も忘れていない。 最大のライバルにして、最高の親友。 その喪失は、北の富士から**「闘う理由」**を奪っていった——。 第52代横綱・北の富士勝昭、後半生の物語。 親友の死、日本中を敵に回した**"かばい手"貴ノ花戦**、 千代の富士と北勝海——二人の横綱を育てた名伯楽への道、 そして26年にわたり日本の茶の間に愛された**「NHKの声」**まで。 2024年11月に旅立った"昭和の粋"の、光と闇のすべてを徹底解剖する。 1970年(昭和45年)初場所後——同時横綱昇進。 3度目の優勝を果たした北の富士は、 好敵手・玉の海と共に、第52代・第51代横綱に推挙された。 185cmの恵まれた体で「夜の帝王」と呼ばれた北の富士と、 177cmの身体を猛稽古だけで横綱に鍛え上げた求道者・玉の海—— 水と油のような二人は、しかし、互いを認め合う無二の親友だった。 優勝を分け合い、千秋楽に相星で激突する—— 大鵬亡き後の土俵に、**「北玉時代」**という新たな黄金期が到来した。 だが、その時代は、わずか2年足らずで引き裂かれる。 1971年9月場所後、玉の海は虫垂炎と診断されながら、 横綱の責務を果たすため手術を先延ばしにしていた。 10月に入りようやく受けた手術——その回復の途上、 10月11日朝、肺血栓により急逝。27歳だった。 北の富士の慟哭は、語り草となっている。 盟友の棺の前で泣き崩れ、 以後、しばらくは土俵に向かう気力すら失ったと言われる。 「北玉」の片翼を失った空は、あまりにも広く、あまりにも寂しかった。 一人横綱となった北の富士に、世間の視線は厳しさを増していく。 そして——1972年(昭和47年)1月場所、あの一番が起きる。 相手は、日本中の人気を一身に集める**「角界のプリンス」貴ノ花**。 激しい攻防の末、両者はもつれるように土俵に倒れ込んだ。 先に土俵に着いたのは、北の富士の手—— だが、物言いの末に下された判定は、北の富士の勝ち。 貴ノ花の体はすでに「死に体」であり、 北の富士の手は相手を潰さぬための**「かばい手」**である——という裁定だった。 国技館は騒然となり、NHKには抗議が殺到。 「世紀の疑惑」「貴ノ花が可哀想だ」—— 判定は規則上正当であったにもかかわらず、 人気者を破った横綱に、日本中の非難が集中した。 この一番で**「かばい手」という言葉は一躍国民に知れ渡り**、 大相撲史に残る"疑惑の一番"として、今も語り継がれている。 勝ってなお、悪役にされる—— 親友を失った横綱に、土俵はどこまでも過酷だった。 それでも北の富士は、通算**優勝10回(うち全勝3回)**を積み上げた。 だが玉の海なき土俵で、闘志の炎は少しずつ細っていく。 怪我も重なり、1974年(昭和49年)7月、32歳で現役引退。 幕内通算592勝——華やかにして、どこか寂しさの漂う土俵人生だった。 引退後の北の富士に、第二の使命が待っていた。 井筒部屋を興した彼は、1977年、師父・九重親方(元千代の山)の死去を受け、 九重部屋を継承する。 部屋には、師匠がスカウトした一人の細身の若者がいた—— 脱臼癖に苦しむ、秋元貢。後の千代の富士である。 北の富士は、この若者に筋肉で関節を固める肉体改造を促し、 猛稽古で「ウルフ」を磨き上げていく。 1981年、千代の富士が第58代横綱に昇進。 さらに1987年、北勝海が第61代横綱に昇進—— 一人の親方が二人の横綱を育てるという、名伯楽の偉業を成し遂げた。 千代の山から受け継いだ九重の系譜は、 北の富士の手で、角界最強の王国へと花開いたのである。 1992年、引退した千代の富士に九重部屋を譲り、自らは陣幕へ。 そして1998年、56歳で協会を去り、NHK大相撲中継の解説者に転身する。 ここから始まる**「第三の人生」**こそ、 多くの日本人が知る"北の富士さん"だった。 歯に衣着せぬ辛口、それでいて愛情深い解説。 粋な着物姿と、絶妙なボヤキ—— 26年間、日本の茶の間は、この声と共に大相撲を見てきた。 盟友・玉の海の分まで、愛弟子・千代の富士(2016年死去)の分まで、 北の富士は土俵を語り続けた。 2024年(令和6年)11月12日、死去。享年82。 訃報に、角界も、ファンも、日本中が涙した。 力士として、親方として、解説者として—— 三つの人生すべてで、大相撲と共に生きた男。 千代の山の弟子にして、千代の富士の師。 昭和・平成・令和——三つの時代を繋いだ"粋"は、 今も国技館のどこかで、土俵を見つめている気がしてならない。 このエピソードでは、北の富士勝昭の「後半生」——北玉時代、玉の海急逝の慟哭、かばい手騒動、32歳の引退、二人の横綱を育てた名伯楽、NHK解説者としての26年、そして2024年の旅立ちまでを、資料と証言をもとに紐解いていきます。 ▼このエピソードで語られる内容 ・1970年初場所後、玉の海との同時横綱昇進 ・「夜の帝王」と「求道者」——対照的な二人の友情 ・大鵬なき土俵に咲いた「北玉時代」 ・1971年、横綱の責務と先延ばしにされた手術 ・10月11日、玉の海急逝——27歳の死 ・涙が涸れるまで泣いた葬儀 ・「闘う理由」を失った一人横綱 ・1972年1月場所、貴ノ花との運命の一番 ・先に着いた手と「死に体」の裁定 ・「かばい手」が国民の言葉になった日 ・NHKに殺到した抗議と"悪役"にされた横綱 ・優勝10回・全勝3回の金字塔 ・1974年7月、32歳での現役引退 ・井筒部屋創設と1977年の九重部屋継承 ・脱臼に苦しむ秋元貢との出会い ・肉体改造のすすめ——ウルフ誕生の裏側 ・1981年千代の富士、1987年北勝海——二人の横綱 ・名伯楽として花開いた九重王国 ・1992年、愛弟子への部屋継承と陣幕転身 ・1998年、協会を去りNHK解説者へ ・辛口と愛情——26年間の「NHKの声」 ・愛弟子・千代の富士に先立たれた悲しみ ・2024年11月12日、82歳の旅立ち ・三つの時代を繋いだ"昭和の粋"の遺産 この動画は、栄光の裏に隠された「相撲伝説と闇」を、敬意を持って掘り下げるシリーズの第2回(完結編)です。 ▼前回:ep1「野球エリートを捨てさせた横綱の一言——出羽海脱退・九重旗揚げ直後の"恩返しの初優勝"」 チャンネル登録・高評価・コメントで応援していただけると励みになります。 📚 参考文献・出典(信頼できる公式ソース) 【最優先1a】北の富士勝昭 - Wikipedia(日本語版) 玉の海正洋 - Wikipedia(日本語版)(1971年急逝・北玉時代の項) NHK「北の富士勝昭さん死去」関連報道・追悼特集(2024年11月) 日本大百科全書(ニッポニカ・小学館)「北の富士勝昭」 貴ノ花利彰 - Wikipedia(日本語版)(1972年1月場所・かばい手の一番の項) 中日スポーツ「北の富士コラム」連載(本人執筆・追悼アーカイブ) コトバンク(デジタル大辞泉「かばい手」/講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus「北の富士勝昭」) 千代の富士貢 - Wikipedia(日本語版)(九重部屋・師匠北の富士と肉体改造の項) 日本相撲協会 公式サイト「歴代横綱 第52代 北の富士」 相撲データベース SumoDB「第52代横綱 北の富士 勝昭(きたのふじ かつあき)」全取組・対戦成績データ ※本動画は上記の公式資料・報道記事・専門書に基づき、故人と関係者への最大限の敬意を持って制作しています。 ※画像・映像素材は引用の要件を満たす範囲で使用しています。 #相撲伝説と闇 #北の富士 #北玉時代 #かばい手 #玉の海