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「戦友」Comrade 明治38(1905)年 インストDTM「昭和電奏楽団(SHOUWA computer orchestra)」陸軍歌(army song)6

昭和一人楽団

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「戦友」Comrade 明治38(1905)年 インストDTM「昭和電奏楽団(SHOUWA computer orchestra)」陸軍歌(army song)6

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「戦友」Comrade 明治38(1905)年 インストDTM「昭和電奏楽団(SHOUWA computer orchestra)」陸軍歌(army song)6 「戦友」 作詞:真下飛泉 作曲:三善和気  全14番の詞から成り立ち、舞台は日露戦争時の遼東半島における戦闘である。関西で流行し、演歌師によって全国に普及した。  昭和の初期、京都市の良正院に、「ここは御国を何百里…」との一節を記した石碑が建てられた。  支那事変が起きた際に、哀愁に満ちた歌詞、郷愁をさそうメロディーなどから「この軍歌は厭戦的である」として人々が歌うことが禁じられ、陸軍も将兵がこの歌を歌う事を禁止した。  太平洋戦争中「戦友」は禁歌だったが、下士官・古参兵は「最後の別れに唱和を行う。」と度々行い、士官・上官によっては黙認され、兵隊ソングとして認知されていた。  戦後GHQ(連合国軍総司令部)は一切の軍歌を禁止していたが、一兵卒の悲劇を歌うこの歌は国民から愛され続けた。(Wikipedia) 1.ここは御国を何百里 離れて遠き満州の  赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下 2.思えば悲し昨日まで 真っ先駆けて突進し  敵を散々懲らしたる 勇士はここに眠れるか 3.ああ戦いの最中に 隣に居(お)ったこの友の  俄かにハタと倒れしを 我は思わず駈け寄って 4軍律厳しい中なれど これが見捨てて置かりょうか  「しっかりせよ」と抱き起し 仮包帯も弾丸(たま)の中 5.折から起る突貫に 友はようよう顏上げて  「御国の為だ構わずに 遅れてくれな」と目に涙淚 6.後に心は残れども 残しちゃならぬこの身体(からだ)  「それじゃ行(ゆ)くよ」と別れたが 永の別れとなったのか 7.戦い済んで日が暮れて 探しに戻る心では  どうぞ生きて居てくれよ 物なと言えと願(ねご)うたに 8.虚しく冷えて魂は 国へ帰ったポケットに  時計ばかりがコチコチと 動いているも情けなや 9.思えば去年船出して 御国が見えずなった時 玄界灘に手を握り 名を名乗ったが始めにて 10.それより後(のち)は一本の 煙草も二人分けて呑み 着いた手紙も見せ合(お)うて 身の上話繰り返し 11.肩を抱いては口癖に 「どうせ命は無いものよ 死んだら骨を賴むぞ」と 言い交わしたる二人中 12.思いも寄らず我一人 不思議に命永らえて   赤い夕陽の満州に 友の塚穴掘ろうとは 13.隈なく晴れた月今宵(こよい) 心しみじみ筆執(と)って   友の最後を細々(こまごま)と 親御へ送るこの手紙 14.筆の運びは拙(つたな)いが 行燈(あんど)の陰で親逹の   読まるる心思いやり 思わず落とす一雫(ひとしずく)         「♪ここはお國を何百里~」…哀愁帯びた厭戦歌…「電奏会」DTM演奏。独自雛型作成で音楽知識楽器経験不要!簡単!会員募集中… 「昭和電奏楽団」関連検索ワード…「電奏会」「昭和一人楽団」