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【中国大返しの裏側】230キロ歩いたのに、戦は終わっていた――名もなき足軽の10日間

ダンのSENGOKU TRIP 〜教科書で語られない乱世の裏側〜

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【中国大返しの裏側】230キロ歩いたのに、戦は終わっていた――名もなき足軽の10日間

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ダンのSENGOKU TRIP 〜教科書で語られない乱世の裏側〜
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天正十年6月、秀吉は備中高松城から山崎まで、驚異的な速さで引き返しました。教科書に書かれているのは、中国大返しという名前と、その速さです。 書かれていないのは、その230キロを自分の足で払った2万人のこと。何が起きたのかを教えられず、自分の村の前を通り過ぎ、断れない銭を受け取って——多くが、戦に間に合わなかったことです。 ▼章立て 00:00 オープニング 01:47 12日で堤を築かされた 07:47 6月4日 水の上の切腹 12:30 引き返せとだけ言われた 17:29 6月7日 村の前を通り過ぎた 21:49 蔵が空になった 26:43 その道は信長のために作られていた 30:58 一日一夜で100キロは走っていない 36:29 間に合わなかった者たち ▼諸説について ・「一日一夜で27里」の初出は、天正10年10月18日付の秀吉自身の書状で、織田信孝の家臣に宛てて自分の働きを訴えたものです。本編では九州大学の服部英雄氏の論考にもとづき、実際の行程として検証しています。 ・姫路城で蔵を開いて金銀と米を配ったという逸話は、江戸時代の『川角太閤記』(元和七年〜寛永二年成立)にのみ見え、一次史料では確認できません。本編でもその旨を述べて紹介しています。 ・秀吉が山崎の合戦の開始に間に合っていなかったという説は、近年公開された書状の分析にもとづく新しい見方で、専門家のあいだにも異論があります。本編では「一説には」として紹介しています。 ▼主な参考文献・資料 ・天正10年6月5日付 羽柴秀吉書状(中川清秀宛・返報)/『梅林寺文書』 ・天正10年10月18日付 羽柴秀吉書状(織田信孝家臣 斎藤玄蕃・岡本太郎右衛門宛)/宮内庁書陵部図書寮文庫 谷・462(写) ・『浅野家文書』『毛利家文書』/小早川隆景書状・毛利輝元書状(本能寺の変の一報について) ・岡山市教育委員会「備中高松城跡(国史跡)発掘調査」平成10年度/岡山県公表資料 ・神戸市教育委員会「兵庫城跡 第62次発掘調査」報告書(2017年3月) ・姫路市/兵庫県立歴史博物館/文化庁「文化遺産オンライン」(姫路城)/三木市(三木合戦) ・服部英雄「ほらの達人 秀吉・『中国大返し』考」九州大学学術情報リポジトリ・2015年 ・千田嘉博(兵庫城跡の発掘にもとづく御座所の見方) ・馬部隆弘「山崎の合戦に遅参した羽柴秀吉」『戦国史研究』91号・2026年 ・福島克彦「[特別寄稿]山崎合戦像の行方」web中公新書・2026年5月25日 ・検証の対象として扱った後世の書物:大村由己『惟任退治記』/『太閤記』/『川角太閤記』/『秀吉事記』 ※AI生成映像で再現しています。史実の描写には諸説あります。 あなたが茂平なら、姫路で渡されたあの銭を、受け取ったでしょうか。 ぜひコメントで聞かせてください。 チャンネル登録・高評価で応援いただけると、次の動画の励みになります。 #中国大返し #豊臣秀吉 #本能寺の変