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島根県太田市仁摩町馬路 琴ヶ浜盆踊 (08/13/2022)

fujiyamaotoshi

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島根県太田市仁摩町馬路 琴ヶ浜盆踊 (08/13/2022)

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琴ヶ浜盆踊り伝説 盆踊りに三様の踊りがある。願成就 、一つ橋(一つ拍手) 思案橋(三つの拍手)の三つである。 (一) 願成就 乙見神社は、 大己貴命を祀る社であって、昔は場路の東南境に屹立せる打歌山(志賀見山今の高山)山頂に鎮まり給いしものである。後年(其の年代定かならざれ共約四百年前と云う) 山嶺に火災あり延びて社殿に及んだ時、南山腹なる湯里村の農・難破某なる人急ぎ嶺に登り神体を奉じて山の北麓、乙見の立に難を避け奉り、村民と相議して此地を社地とし、社殿を新築し之を乙見社と改称した。ー夜神明難波某に告げて宣う「汝余を火難の際乙見の地に避けしむ、之れ全く汝が赤誠の致す所なり、汝欲する事あらばー事を祈すべし、必ず願成就せしめん」と醒めてみると夢の様である。再び眠子るに又初の様に夢をみた。 ここに於いて、難波某社前に詣り、祈願して曰わく、「不肖何をか欲する所あらん只我居住の地高繰にして水に乏しく今や大早に遭い、穀菜将に枯死せんとす希くば今にして降雨あらしめ給いなば、我ー人の幸のみならず諸民の喜悦之に、過ぎたる事なし」と忽にして黒雲天に覆い、大雨はい然として来た。 斯の如く霊験あらたかであったから、部落の諸民田畑を耕し山林に木こる者歓喜の余り衣覆を更むるの暇なく、農具、木こり具を携え半足を穿ちしまま社前に参詣し手踊して報餐した。依って難波某の居住する地を「願成就」と称し、今尚其7地名を存している。是れを踊りの紀元として、今日に及べるものであって、此の踊りを「願成就踊」と称う。 (附記 旱天の時雨乞をなし降雨後踊るの風習今尚存す) (二) ーつ橋(ーつ拍子とも云う) 其の後村人願成就踊は粗野にして、地方の盆踊に如かずとなし、出雲伯耆地方に出稼ぐ人々等出稼先に於いて見習い帰村し、稻々優美に改めたものであろう、故に此の風俗は出雲伯耆地方の踊りに類似の点がある。 (三)思案橋(三つ拍子とも云う) 当地昔(今を距る三百年以前ならんか)海運業盛んにして其の業に就く者多く村内数十艘の船舶を有し、専ら新潟馬関地方に航海した。而して彼の地に於ける取引、其の他風向の関係白足袋を穿つ般員等娯楽の一つとして新潟に於いて、北国流思案橋と称する踊りを会得し、帰国の時郷里に於いて普及せしめたるものであって、盆踊中最も優美なるものである。盆踊の古来の踊方は、円形に列を作り男女老若混合せず各々隊伍をなす。