ミノルタはなぜ消えた?|8万8000円のα-7000と、3万9500円のX-7と、ソニーへ渡ったα
あの会社はなぜ消えた?
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ミノルタはなぜ消えた?|8万8000円のα-7000と、3万9500円のX-7と、ソニーへ渡ったα
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あの会社はなぜ消えた?
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1985年、ボタンを半分押すだけでピントが合う一眼レフ「α-7000」で世界を驚かせたミノルタ。宇宙を飛んだハイマチックも、コマーシャルで話題をさらった X-7 も、この会社から生まれました。
けれど会社そのものは2003年、コニカと経営を統合したあと、持株会社に吸収されて消えます。2006年にはカメラの事業も終わり、α はソニーへ渡りました。
ミノルタは、なぜ消えたのか。
▼ チャプター
0:00 イントロ
0:32 2006年1月19日、カメラをやめた日
2:22 武庫川のほとりの30人
4:24 稔る田と、ドイツ人の去った工場
6:52 宇宙へ行ったカメラ
8:53 2年続けて配当ゼロ、そしてライカと
10:55 3万9500円のX-7
12:52 アルファショック
14:53 165億円の和解
17:14 デジタルの壁と、小西六
19:28 αはソニーへ
1928年、田嶋一雄は兵庫県の武庫川のほとりで、ふたりのドイツ人技術者と「日独写真機商店」を始めました。最初のカメラ、ニフカレッテは1台20円。1933年には「ミノルタ」の名が生まれます。戦争で3つの工場を失いながらも、戦後は輸出で立ち直り、1962年にはハイマチックがアメリカの宇宙船フレンドシップ7号に載りました。
1966年の SR-T101、ライツと組んだライツミノルタCL、1977年の XD、そして1980年の X-7(ボディ3万9500円)。1985年、ボディ8万8000円の α-7000 は、初回に1万台を送り出してもなお品切れの店が相次ぐ「αショック」を起こし、国内の一眼レフのシェアを20%台へ押し上げました。
しかし1987年、アメリカのハネウェルがオートフォーカスの特許で提訴。1992年、ミノルタは1億2750万ドル(約165億円)を払って和解します。1994年には社名から「カメラ」を外しました。売上の柱は、すでに複写機になっていました。
借金のふくらんだミノルタは、創業のころの国産写真機の大手・小西六の流れをくむコニカと2003年に経営を統合し、同じ年の10月に持株会社へ吸収されて法人として消えます。デジタルカメラの時代、画質を左右するのは撮像素子でした。2006年3月、コニカミノルタはカメラ事業を終え、α はソニーへ引き継がれました。
※ 本動画の「消えた」は、法人としてのミノルタ株式会社と、そのカメラ事業のことです。「ミノルタ」の名前はコニカミノルタの社名に、α はソニーのカメラに残っています。
「あの会社はなぜ消えた?」では、かつて日本にあった企業のなりたちと消えかたを、毎日18:00に配信しています。
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