【最強格闘技はどっちだ?】プロレス?極真空手?今では誰も思わなくなってしまった・・・新日本プロレスと極真空手の確執とは? #プロレス #猪木 #長州力 #前田日明
オレたちのプロレスと格闘技の考察
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【最強格闘技はどっちだ?】プロレス?極真空手?今では誰も思わなくなってしまった・・・新日本プロレスと極真空手の確執とは? #プロレス #猪木 #長州力 #前田日明
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1972年3月に旗揚げした新日本が、"キング・オブ・スポーツ"を打ち出したのに対し、極真はそれ以前から「地上最強のカラテ」をうたい、大山は「誰が何と言おうと空手が最強、空手の中でも極真が最強だよ」と断言していた。同時期には「キックの鬼」として知られる沢村忠も、日本プロスポーツ大賞を受賞したり各種週刊漫画雑誌の表紙を飾るなど世間の人気を博していた。しかし、キックボクシングが最強論争に含まれることはほとんどなく、当時の格闘技ファンは、プロレスが強いか?空手が強いか?この2つを比べて熱く語り合ったものである。
新日本と極真の最初の接点は、1972年夏ごろのことだった。新日本はこの年の3月6日に旗揚げ戦を行なったばかりだったが、猪木がいるとはいうものの日本プロレスに比べれば団体としての知名度ははるかに低く、集客に苦戦していた。
そんな新日本の中で、「何か話題になる事はないだろうか…」と頭を悩ませていたのが新間寿である。のちに古舘伊知郎によって「過激な仕掛け人」と呼ばれ、一時期はWWF会長をも務めていた新間は、新日本の設立当時から営業本部長として、新日本と、エースである猪木の名前を売る事を考えていた。
そこへ、社員の一人が「週刊少年マガジン」を持ってきた。「部長、こんなのが出てますよ」と差し出された誌面には、極真が主催する「第4回オープントーナメント全日本空手道選手権大会」の広告が掲載されていた。
苦しい戦いを強いられていた新日本とは逆に、極真は前年から「週刊少年マガジン」への連載が始まった梶原一騎原作の劇画「空手バカ一代」が大ヒット。「極真空手」と大山倍達の名は一躍メジャーとなり、全日本大会が開催される東京体育館には押すな押すなの大観衆が詰めかけるほどの人気を博していた。
その広告には、こんなキャッチコピーが踊っていた。「空手のみならず、ボクシング、キックボクシング、柔道、プロレス、全ての格闘家の参加歓迎!」。
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