【歴史の暗黒面】なぜ日本列島から「20万人の縄文人」が消えたのか?1978年の遺跡データと東大DNA解析が明かした『崩壊の崖』。
縄文ものがたり
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【歴史の暗黒面】なぜ日本列島から「20万人の縄文人」が消えたのか?1978年の遺跡データと東大DNA解析が明かした『崩壊の崖』。
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文字がひとつも残っていない時代の人口を、どうやって数えるのか。
1978年、国立民族学博物館の小山修三は、全国の遺跡を時期ごとに数え、縄文の人口を推計しました。縄文中期におよそ26万人、晩期にはおよそ7万6千人。そして2019年、東京大学の研究チームは、現代日本人男性のY染色体から、縄文由来と考えられる系統が縄文の終わりごろに大きく細っていたことを示しました。まったく違う二つの方法が、同じ方向を指していたのです。
■ 確かめられたこと、まだわからないこと
・「26万人→8万人」「三分の二が消えた」は、小山修三の推計(小山・杉藤 1984)です。遺跡の数にもとづく計算で、戸籍や骨を数えた数字ではありません。北海道と沖縄はふくまれていません。
・2019年の研究(Watanabe ほか, Scientific Reports 9:8556)が示したのは、ひとつの系統(D1a2a)の男性の集団の大きさの変化です。人口が何分の一になったかを、直接示したものではありません。
・減少には二つの波がありました。中期の終わり(関東や中部)と、縄文の終わり(晩期)。4200年前の気候変動は、主にひとつ目の波にかかわる説です。ふたつ目の波の原因は、まだはっきりしていません。
・原因については、気候、人口の増えすぎ、ひとつの食べ物への頼りすぎなど、複数の要因が考えられており、確かめられていません。
・地域ごとの縄文由来の割合は、Watanabe & Ohashi(2023)の研究にもとづきます。
・三内丸山遺跡の暮らしについては、以前の動画でくわしく取り上げています。
■ チャプター
0:00 オープニング:消えた三分の二
1:33 第一章 遺跡を数える:小山修三の方法
5:33 小山の表:大きな山と深い谷
6:12 東と西、そして森
8:52 地方ごとの崩れ方
9:55 三内丸山と縄文中期の頂点
12:30 第二章 本当に崩れたのか
15:18 DNAという別の物差し:Y染色体の研究
18:55 同じ崖の前に
19:32 第三章 なぜ崩れたのか:二つの波
23:12 整理:二つの方法が指したもの
25:21 稲作の到来と人口の回復
27:13 縄文は消えきらなかった
30:57 結び:土と体に残った記録
■ 写真・資料の出典(画面にも表示しています)
・東京大学大学院理学系研究科プレスリリース(2024年4月4日、平野力也・海部陽介)
・国立歴史民俗博物館研究報告 第154集(上黒岩岩陰遺跡)、鳥取県(青谷上寺地遺跡)、神戸市(新方遺跡)
・Wikimedia Commons:Yoshio Kohara、663highland、Yusuke Watanabe, Jun Ohashi、小池 隆、Saigen Jiro、Pekachu、Kakidai、C.K. Tse、inunami、National Human Genome Research Institute、Randolph Bresnik
・論文の図:Nakao et al.(2016)、Crevecoeur et al.(2021)ほか
・JOMON ARCHIVES(縄文の石鏃)
・地形:NOAA ETOPO1、(地図)をもとに作図
■ 制作について
・「再現イメージ」と表示した画像は、AIで生成した想像図です。実在の遺跡・人物・出土品の写真ではありません。
・「模式図」と表示した図は、考えかたを分かりやすくした作図です。家系図の図は模式図で、実際の系統樹ではありません(論文の図は出典とともに表示しています)。
・森や水田などの映像には、撮影地が日本ではない「イメージ映像」もふくまれます(画面に表示)。
・実際の写真・資料・論文の図には、画面に出典を表示しています。出典の詳細(URL)は固定コメントに載せました。
・字幕(日本語)をつけています。
#縄文 #縄文時代 #考古学 #人口 #DNA #Y染色体 #三内丸山遺跡 #日本史