【朗読】山本周五郎『赤緒の草鞋』
元アナウンサー古沢久美子の【朗読Room】
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【朗読】山本周五郎『赤緒の草鞋』
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★一口メモ★
『赤緒の草鞋』お聴きいただきありがとうございます🥰
この作品は
2025年4月刊の「山本周五郎未収録小説集成」に収録されていますが、初出年などは断定できないとされています。
さて、
★〈武士は名こそ惜しけれ〉
という表現が何度か出てきます。
武士にとって自分の名誉や評判(武名)を傷つけることほど悔しく、惜しいものはないという意味の言葉です。
古語の"惜し"は、
現代語の"もったいない"だけでなく、
"非常に愛おしい"
"損なうのが辛い"
という意味を持つのだそうです。
武士としての強いプライドが感じられますね。
武士は命を落とすこと以上に、卑怯者、臆病者という悪名(評判)を立てられることを極めて恐れました。
自分の名は自分だけのものではなく、一族や子孫の評判、領地の存続などに直結していた為だったようです。
"武士は名こそ惜しけれ"は
『平家物語』などの軍記物語に頻繁に登場し、
武士が戦場で名乗りを上げたり討死を覚悟して敵陣に飛び込んだりする場面で
己の覚悟を示す言葉としてもよく出てきます。
もう一つ、
★ 『朝(あした)に道(みち)を聞(き)けば、夕(ゆうべ)に死(し)すとも可(か)なり』
という表現も出てきました。
「人として生きるべき正しい道(真理・道徳)を朝に悟ることができたなら、
その日の夕方に命を落としたとしても決して後悔はない」
という意味の言葉です。
元は『論語』にある孔子の言葉(朝聞道、夕死可」)に由来します。
ただダラダラと長生きすることに価値があるのではなく、
「真理を悟り、納得のいく生き方を見つけること」こそが
人生の最高の目的であるという強い覚悟を表しています。
「死すとも可なり」は本当にすぐ死にたいという意味ではなく、「それほどまでに真理を得ることは尊く、人生を満たしてくれるものだ」という強調表現とのこと。
『朝(あした)に道を聞けば夕(ゆうべ)に死すとも可なり』
は、
「真理や生きる目的を悟ることの尊さ、そしてそれに命を懸けるほどの探求心」を表した言葉なのだそうです。
武士(もののふ)のあるべき精神は、かくも厳しく潔いものなのですね🤭
『赤緒の草鞋』お楽しみいただけましたら嬉しいです。
ありがとうございました。
また聴いてくださいね❣️