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豊中まつり2022 豊島公園 Walk the Toyonaka matsuri Osaka, Japan

Sakura Drop

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豊中まつり2022 豊島公園 Walk the Toyonaka matsuri Osaka, Japan

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豊中まつりは毎年8月第1週の土・日曜日を中心に市内の公園や広場、市民会館などの文化施設で開催しています。 平成14(2002)年には、約20万人の人出でにぎわいました。 豊中まつりの前身は昭和26(1951)年5月に開かれた第1回豊中商工祭です。 この商工祭ではミス豊中コンテストもあわせて行われており、10月には豊中市制施行15周年を記念して第2回が催されました。その後は、ほぼ毎年1回のペースで行われるようになり、昭和39(1964)年の第11回豊中商工祭を最後に、次の時代の新たな祭りへと姿を変えていったのです。 そして昭和43(1968)年、装いも新たに第1回豊中まつりが始まりました。この時は市民会館(曽根東町3丁目)の落成記念を祝し、第1回民謡カーニバルなども同時開催されています。豊中商工祭から始まった豊中まつりは、この年を契機として徐々に都市型イベントへとさらに姿を変えていきました。 平成4(1992)年からは「いきいき豊中まつり」と名称を変更。豊中青年会議所主催のチビッコカーニバルやポップスコンテストも、まつりの一環として催されるようになり、市内各所の屋内外施設を組み合わせた複合型へと変容していきました。大門公園(北桜塚1丁目)での民謡カーニバル、府営服部緑地公園や大曽公園(北桜塚4丁目)での親子イベント、市民会館(同前)やアクア文化ホール(同前)での市民美術展や音楽フェスティバルなど、多彩な内容で2日間催される現在の豊中まつりの原型ができあがり、豊中の夏を彩る風物詩として定着していったのです。 平成7(1995)年、第28回を数えた豊中まつりは、その年の1月17日に発生した阪神・淡路大震災による市域の被災状況を考慮し、当初は中止も検討されました。しかし、このような時だからこそ市民の元気をもり立てようと開催の運びとなったのです。このときのスローガンは「ひろがれ!元気 ワッショイ!とよなか 明日のわがまち築こう この手で」というものでした。この頃から“市民主体のまつりづくり”の機運が芽生え始めたのです。 こうして、平成8(1996)年には、豊中市の呼びかけでまつり見直しプロジェクト「豊中まつり検討委員会」が発足しました。市役所内に設けられたプロジェクトに豊中商工会議所や豊中青年会議所などの代表が加わり、平成9(1997)年1月に報告書「豊中まつりを考える」をまとめました。「人と文化がふれあうまつり」をテーマに、市民参加によるまつりづくりがスタート。現在に至っています。 ●豊中まつりについては「新修豊中市史 第7巻民俗」にも掲載されています。