西郷隆盛|江戸を救い明治政府を作った英雄は、なぜ最後に反乱したのか?
偉人の光と闇
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西郷隆盛|江戸を救い明治政府を作った英雄は、なぜ最後に反乱したのか?
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1877年9月24日の朝、鹿児島の城山で、ひとりの陸軍大将が討たれました。討ったのは、その人自身が作った政府の軍です。7か月で1万3千人が死に、国はおよそ4157万円を使いました。戦費をのぞいた、その年の国の歳出に迫る額です。
ですが、この動画の問いは反乱の是非ではありません。西郷隆盛が反乱を計画したことを示す史料は、いまも見つかっていません。火薬庫が襲われた夜、本人は大隅で狩りをしていて、その場にいませんでした。生徒を差し出すこともできました。それでも彼は、先頭に立ちます。なぜ維新の英雄は、自分が作った政府に討たれたのか。答えを、史料の残っているところまで追いかけます。
同時に、もう一つの奇妙な事実も確かめていきます。この人物の写真は、一枚も残っていません。教科書や銅像で見るあの顔は、本人ではありません。上半分は弟、下半分は従弟をもとに描かれたものだとされています。名前も、もとは隆永でした。位を贈られたときの届け出で、父の名がそのまま使われたのです。顔も名前も、本人のものではありませんでした。
加治屋町の下級武士の家から、殿様に見つけられ、二度の島流しに遭い、海に身を投げて一人だけ生き残る。薩長同盟、江戸無血開城、そして廃藩置県。武士という身分を終わらせたのは、ほかならぬ西郷自身でした。そのあとに、征韓論の政変、私学校、火薬庫の夜、熊本城、田原坂の十七日、そして城山へ。順に追っていくと、「人に慕われる」という一点が、この人の力であり、そのまま代償でもあったことが見えてきます。
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▼チャプター
0:00 オープニング
1:54 加治屋町の子ども
3:42 殿様に見つけられた男
5:23 海に沈んだ二人
7:06 島の五年
9:01 呼び戻された男
10:43 敵と手を結ぶ
12:28 江戸に火を放つ
14:11 使い捨てられた者たち
15:49 百万人の町
17:55 藩を消した男
19:54 使節か 征討か
21:55 帰ってきた英雄
23:54 火薬庫の夜
26:12 田原坂の十七日
28:14 城山 九月二十四日
30:14 顔の残らなかった男
32:24 総まとめ
▼注記
・本編は『西郷隆盛全集』所収の書簡・『南洲翁遺訓』・『大久保利通文書』など同時代の記録をおもな手がかりに構成しています。後年の回想や明治以降の読み物にしか出てこない逸話は、その旨を本編で明示しています。
・年齢は数え年です。
・明治5年までの日付は旧暦(和暦)で表記しています。
・史料によって記述が分かれる点、後世の解釈が加わっている点については、本編中でその旨を明示しています。
・映像に登場する情景・人物の姿は史料をもとにした想像図であり、実在の肖像ではありません。
・本動画は制作にあたりAI(音声合成・画像生成)を使用しています。
▼クレジット
音声:VOICEVOX:青山龍星
BGM・効果音:Mixkit ほか
#西郷隆盛 #西南戦争 #明治維新 #日本史 #大久保利通 #城山 #田原坂 #薩摩 #偉人の光と闇