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ボイスドラマ「おおきなさくらのおひっこし」

下北山生成参女神

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ボイスドラマ「おおきなさくらのおひっこし」

41 просмотр · 8 дн. назад
下北山生成参女神
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湖の底に沈んだふるさと。そして、生き続けた二本の桜。 2024年、東京・渋谷。 89歳の咲良のもとへ届いた一冊の絵本。 『おおきなさくらのおひっこし』 そこに描かれていたのは、70年以上前、ダム建設によって湖の底へ沈むことになった故郷・荘川村中野地区と、二本の大きな桜の物語でした・・・ 【ペルソナ】 ・さくら=荘川桜の精(年齢不詳/CV:岩波あこ)=ストーリーテラー ・咲良=さくら(19-20歳/23歳/26歳/89歳/CV:岩波あこ)青年団所属で反対同盟の運動員 ・昭一=しょういち/通称ショウ(年齢同上/CV:岩波あこ)咲良の幼馴染 【プロローグ/2024年4月/東京渋谷】 ▪️SE/玄関チャイム「お荷物です」 2024年春。 私の元に小さな小包が届いた。 私の名前は、咲良。 89歳。 東京の渋谷に住んで、もう60年以上になる。 ▪️SE/荷物の中身を開ける音 小包の中身は・・・ 絵本? 題名は・・・ 『おおきなさくらのおひっこし』。 私は本のページを捲る。 『荘川町中野地区。 そこには照蓮寺、光輪寺というお寺があり、 お寺には人々が大切にしていた二本の桜の木がありました』 え? 荘川村?中野地区? 桜の木? 何十年ぶりかに耳にするその名前。 荘川村の中野は、私が産まれたところだ。 【シーン1/1952年10月〜1953年1月/荘川村中野】 『ある日突然、この荘川にダムができるという話がきました。 中野地区の人たちは、みんなダムづくりにはんたいでした。 ダムは中野地区につくられるため、ふるさとが水の中にしずんでしまうのです』 ▪️SE/小鳥のさえずり 1952年10月。 ダム建設計画が公表された。 私がその話を聞いたのは、光輪寺の境内。 19歳の私は、幼馴染のショウ=昭一と一緒だった。 光輪寺の境内は、小さい頃から私たちの遊び場。 大人になってもそれは変わらない。 遅い春には、桜吹雪の下でいつまでもショウと語り合った。 ”お寺も、桜も、なにもかも・・・ 私たちの村が水の底に沈む?” 当時の荘川村は農作物も豊富で、恵まれた農村だった。 土地を失うということは『職と未来を同時に失うこと』を意味する。 年が明けると『御母衣ダム絶対反対期成同盟死守会』を結成。 日に日に反対運動は激しくなっていった。 私とショウは、家々の玄関に『ダム絶対反対』と書いた木札を打ち付ける。 バス停や道路沿いの家には巨大な横断幕を張って回った。 その年、白川村と合同陳情団を結成。 国会議事堂まで直訴に出かけた。 反対運動は日を追うごとに、激しさを増していく。 争いは何年にも渡り、終わりの見えない暗闇へと突き進んでいった。 そこに現れたのが『賛成派』の村人たち。 それは村を二分する深刻な対立へと発展した。 死守会の若手頭、ショウの怒りは頂点に達していく。 そんな時、私たちの目の前に、ひとりの老人が現れた。 【シーン2/1959年夏/荘川村中野】 『ある日、ダムづくりをすすめている、偉い人がやってきました。 その人は、ダムづくりが日本のためになると説明しました。 しかし、中野地区の人たちは、 何回きてもらっても、ダムづくりには、反対だからね、と言いました』 ▪️SE/ヒグラシの声 1959年。 初めてその人を見たとき、少し驚いた。 ダム開発の責任者。 それは冷徹で心のない、怖い人 私はそう想像していた。 なのに、その人の目は全く違った。 私たちを真っ直ぐに見て、深々と頭を下げる。 時には、目を潤ませながら。 ショウは、そんな姿を目にしてもまったく動じなかったけど。 『日本のために、みなさんからふるさとをとりあげる。 ほんとうにひどい話だと想っています』 私にはその人が、うわべだけのでまかせを言っているようには見えなかった。 ショウは相変わらず鋭い目つきで老人を睨みつける。 その夜、家に帰ると、父と母が私を待っていた。 仏壇の前に 正座して、私に告げたのは・・・ 『荘川を出る。新しい場所でやり直す』 耳を疑う言葉。 父の声は小さく、震えていた。 母は仏壇に向かったまま、肩を落としてすすり泣いている。 『もうここまでか・・・』 私の心の中に、波紋が広がっていった。 ▪️SE/小鳥のさえずり 次の日。 私はショウを光輪寺の境内に呼びつけた。「さくら・・どうしたんだ?」 「私、東京へ行くことになった」 「え・・・?」 絶句したまま、ショウは何も言わなかった。 季節は晩夏を越えて、もうすぐ冬の準備に入る頃。 目の前には私たちをずうっと見守ってきた大きな桜の木。 この桜も、水の底に沈んでしまうのか・・・ どうしようもない悲しさが私の心を覆っていく。 老木は、風に吹かれて枝を揺らしていた。 【シーン3/1959年11月/荘川村中野】 『一九五九年(昭和三十四年)11月、 みんながあつまって中野地区のお別れ会がひらかれました』 ▪️SE/虫の声 1959年11月。 荘川村立中野小学校。 反対同盟の解散式がおこなわれた。 それは今思い出しても、切なくて美しい和解の瞬間。 解散式に出席したのはなんと、開発の責任者。あの老人。 反対同盟から案内状を受け取り、わざわざ足を運んでくれたという。 反対同盟の幹部が解散宣言を読み上げる。 ショウは、何も言わず唇を噛んでいた。 宣言が終わる。 壇上で反対同盟の代表と開発責任者の老人が歩み寄った。 言葉を交わすのではなく、心を結ぶような固い握手。 その瞬間、大人も子供も、ショウも私も、嗚咽した。 愛する故郷と決別しなければならない寂しさ。 それでも開発側の誠意にようやく心rがほどけた複雑な感情。 解散式が終わり、誰もいなくなった小学校。 教室の黒板には、チョークで大きくこう書き残されていた。 『さようなら御母衣、さようなら中野』 それはまるで、私の心を映す言葉。 私は翌日、両親とともに、東京へ旅立った。 【シーン4/1960年/荘川村中野】 『この桜をたすけましょう。なんとかしてくれる人をさがします』 『こうして光輪寺と照蓮寺の桜の木のおひっこしがはじまりました』 ▪️SE/虫の声 1960年11月。 光輪寺と照蓮寺の桜が山の上へ引き上げられた。 驚くような大移植が無事完了。 それを指示したのは、開発の責任者、あの老人だった。 え? うそ? あの桜が・・・ 東京へ引っ越したあと、父と母は渋谷で旅館業を始め軌道に乗った。 私には縁談が舞い込み、この年、お見合いをして結婚。 すぐに子供が生まれ、目が回るような毎日。 荘川のことなど、考える余裕すらなかった。 子供たちが成長して巣立つと、代わりに孫を授かる。 孫たちの面倒を見ながら 気がつくと60年以上が経っていた。 知らなかった・・・ 生きていたんだ・・あの桜たち・・・ 『春のようせいと、桜のようせいがお話をはじめました』 『今年はおそかったね。 暖かいところからまわってきたので少しおそくなったけれど、 ちゃんとあたらしい芽をもってきたよ』 『春のようせいのおかげで、桜の木に芽がでました。 桜のようせいも喜びました』 『おおきなさくらのおひっこし』 そういう意味なのね。 最後のページを捲ったとき、一枚の紙が床に落ちた。 きれいに折り畳まれた羊皮紙。そこには簡素な文字でこう書かれていた。『父からこの絵本を咲良さんに送るよう言われました。父の名は・・・』 昭一? ・・・ショウ! 『父は故郷が湖底に沈んだあと、中学校の教師となりました。 中野中学校は統合されて、荘川中学校になり、 定年まで勤め上げたのです。 この本は今年、2024年に4月に完成しました。 作ったのはいまの荘川中学校2年生の生徒たちです。 父は絵本の完成をとても楽しみにしていました。 残念ながら本を目にすることはできませんでしたが、 いつもこう言っていたのを思い出します。 咲良に見せてやりたい。 教えてあげたい。 時代に翻弄されながら、立派に生き抜いている荘川桜のことを。 咲良、というのは咲良さんのことですよね。 集団で東京や千葉へ向かった中野開拓団。 その名簿を調べました。 父と同い歳。 咲良さんが父と一緒に反対運動を続けていたことも知りました。 私が、咲良さんって誰?と聞くと いつも『戦友だ』と言っていました。 本当に『戦友』だったのですね。 この本は父の形見でもあります。 どうか、父の気持ちをくんでいただき、受け取っていただけませんでしょうか』 ああ、よかった。 ショウ、荘川で幸せな人生を全うしたのね。 今度会えたら、荘川桜のこと、いっぱい教えてちょうだい。 早く、会いたいな・・・ショウ・・・ 『荘川桜は今もきれいに咲き続けています。 地域の人々や私たち小・中学生も保全活動を行っています。  次は、この物語を読んでくださったあなたが荘川桜を大切に守っていってください。 いつまでもこの荘川桜がみなさんの力で大切に守られていきますように』 ※続きは音声でお楽しみください。