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耳が聞こえなくなったベートーヴェンは、なぜ「歓喜」を書けたのか?

書斎で読むクラシック

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耳が聞こえなくなったベートーヴェンは、なぜ「歓喜」を書けたのか?

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なぜ、これほど苦しんだ人間が、最後に「歓喜」を歌うことができたのでしょうか。 1824年、ウィーン。 ベートーヴェンの《交響曲第9番》が初演されました。 演奏が終わり、会場が熱狂的な拍手に包まれる中、 その歓声を聞くことのできなかった人物がいました。 作曲したベートーヴェン本人です。 彼の人生には、数多くの苦悩がありました。 聴力の低下。 愛する人と結ばれなかった孤独。 家族との葛藤。 病気。 そして、一度は生きることそのものを諦めようとするほどの絶望。 それでも彼は、芸術を生きる理由として、音楽を書き続けました。 本動画では、 ベートーヴェンの少年時代、 フランス革命とナポレオン、 《英雄》《運命》《田園》《熱情》、 難聴と「ハイリゲンシュタットの遺書」、 ヨゼフィーネ・ダイムや「不滅の恋人」への思い、 甥カルルとの苦しい関係、 そして彼が芸術や「未来の人類」に託した思いをたどります。 若いころから30年以上にわたって心に抱き続けた、シラーの《歓喜に寄す》。 人生の苦しみを通り抜けた53歳のベートーヴェンは、 ついにその「歓喜」を《第九》という巨大な音楽へと結実させました。 苦しみを知らない人の喜びではない。 苦しみと向き合い、その先でようやくたどり着いた歓喜。 ベートーヴェンの人生を知ったあとで聴く《第九》は、 少し違って聞こえてくるかもしれません。 そして動画の最後では、 1918年、徳島県の板東俘虜収容所で行われた《第九》日本初演についても少し触れます。 なぜ第一次世界大戦中、捕虜となったドイツ兵たちは、日本で「すべての人々は兄弟となる」と歌ったのか。 この《第九》と日本の物語は、次回の動画で詳しく取り上げます。