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ペリー来航のあと、幕府は1年間なにをしていたのか【ずんだもん&ゆっくり解説】

ずんだもんの歴史ファイル

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ペリー来航のあと、幕府は1年間なにをしていたのか【ずんだもん&ゆっくり解説】

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1853年7月8日、ペリーの艦隊が浦賀の沖に現れました。国書を置いて、9日で帰っていきます。翌年また来る、と言い残して。幕府に残されたのは1年ぶんの時間でした。 ところが、ペリーが戻ってきたのは211日後です。およそ7か月。1年のつもりだった猶予は、実際には6割ほどしかありませんでした。この動画は、その211日に江戸で何が動いていたのかを追いかけます。 先に意外なことがあります。幕府は、ペリーが来ることを前から知っていました。1852年7月21日、長崎のオランダ商館長が長崎奉行に別段風説書という文書を出しています。オランダが毎年出していた海外の事情の報告書で、その年の分にはアメリカが日本と条約を結びたがっていること、そのために艦隊を出す計画があることが書いてありました。中国の周りにいるアメリカの軍艦が5隻、本国から送られる予定が4隻、その艦の名前まで。指揮官がオーリックという人からペリーに代わったことも書かれています。この報告からペリーが実際に来るまで、352日ありました。幕府は海の守りに関わる大名たちと内々に話し合っていますが、防備を強くするところまでは進みません。理由として挙げられているのはお金です。知らなかったのではなく、知っていて手が出せなかった。その形のまま、6月3日を迎えました。 では、退去したあと最初にやったことは何か。船でも砲台でもありません。意見を聞くことでした。1853年8月5日、艦隊が去ってからまだ19日。幕府はペリーの手紙を訳したものを配り、意見を求めます。配った相手が問題でした。親藩と譜代の大名だけでなく、薩摩や長州や土佐といった外様にも、旗本にも配り、さらに庶民にまで意見を求めたと当時の記録は書いています。外交と国政は幕府が単独で決めるのが建前でしたから、これは幕府だけでは決められないと自分から認めることになります。判断したのは老中首座の阿部正弘でした。集まった意見は、開国に賛成と反対で割れ、まとまりません。 同じ夏、もうひとつ大きなことが起きています。艦隊が去った10日後、12代将軍の徳川家慶が亡くなりました。次の将軍が決まるのは同じ年の11月23日。その前のおよそ5か月は、返事を決める人がいないまま進みます。 形になったものもあります。1853年8月26日、幕府は江川太郎左衛門たちに台場の造営を命じました。今の東京のお台場は、このとき造られた砲台の跡です。計画は11基。着工は8月の終わりで、工事は昼も夜も続き、働いた人はおよそ5000人、費用はおよそ75万両と伝えられています。翌年7月に第一から第三、12月に第五と第六、それに御殿山下ができました。第四は7年後、第七は未完成、第八から先は着工されていません。お金が足りなかったからです。 船もあります。大船建造の禁という決まりがありました。1635年の武家諸法度で、500石積より大きな船を造ることを禁じたものです。218年続いたこの決まりが、ペリーが来てから3か月で外れました。解禁のすぐあと、1853年10月22日に浦賀で鳳凰丸が起工します。3本のマストを持つ西洋式の大きな軍艦で、国内で組み上げたものとしてはこれが1隻目。完成は227日後の1854年6月6日でした。 来た船はアメリカだけではありません。ペリーが帰った36日後、1853年8月22日に、ロシアのプチャーチンがパルラダ号ほか4隻を率いて長崎に入っています。千島と樺太での国のさかいめを決めること、和親と通商の条約を結ぶこと。幕府は筒井政憲と川路聖謨を長崎へ送り、はっきりした返事をしない構えで臨みました。話し合いは6回。決まらないまま、ロシアの軍艦は長崎を出ていきます。 そして1854年2月13日、ペリーが浦賀に戻ってきました。船の数は増えていて、資料によって6隻とも9隻とも書かれています。交渉の場所は武蔵国の横浜村。幕府側の全権は大学頭の林復斎という学者でした。薪と水を分けることと、流された船の人を助けることは引き受ける。ただし商売の条約は結ばない。この線で臨み、上陸からおよそ3週間後の3月31日、日米和親条約が結ばれます。全部で12か条。下田と箱館の2つの港を開くこと、物資の補給、漂流民の救助、外交官の下田駐在、そして最恵国待遇でした。 1年でできたものを数えると3つです。砲台は11基の計画のうち6つ。軍艦は227日で造った1隻。そして3つ目は、幕府の外にいる人たちが国の方針について口を開く道です。これがいちばん長く残りました。 条約の少しあとには、もうひとつ決まったものがあります。外国の船と見分ける必要が出てきて、島津斉彬や徳川斉昭たちが推した日の丸が、1854年8月2日に日本総船印として布告されました。ペリーが去った日から381日後のことです。 砲台は埋め立てられ、船はいつか役目を終えました。残ったのは、外の声を聞いてしまったという事実のほうでした。 ▼登録 つぎの1本も見逃したくない方は、チャンネル登録をどうぞ。 https://www.youtube.com/@zundamon_rek... 気になる人物や事件があれば、コメントで教えてください。次のファイルの候補にします。 ▼目次 0:00 黒船が去った次の日から 0:55 黒船が置いていったもの 3:47 オランダからの知らせ 6:02 外へ問いを投げる 8:48 将軍がいない夏 10:07 海に島を積む 14:12 西からも来た船 15:55 7か月で戻ってきた ※時間は目安です。 ▼おもな参考資料 国立国会図書館「史料にみる日本の近代」1-1 開国―近代の幕開け https://www.ndl.go.jp/modern/cha1/des... 国立国会図書館 国際子ども図書館「中高生のための幕末・明治の日本の歴史事典」ペリー来航 https://www.kodomo.go.jp/yareki/theme... 国立国会図書館 国際子ども図書館 史料編「日米和親条約」 https://www.kodomo.go.jp/yareki/archi... 国立公文書館「旗本御家人II」32. ロシア使節との交渉(記録材料) https://www.archives.go.jp/exhibition... 国立公文書館「激動幕末」17. ペリー提督日本遠征記 https://www.archives.go.jp/exhibition... 品川区 特別展資料(江戸湾防備と品川台場) https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/j... しながわ観光協会「品川台場(御殿山下砲台跡)」 https://shinagawa-kanko.or.jp/spot/sh... 東京都港湾局 海上公園なび「台場の歴史」 https://www.tptc.co.jp/park/01_01/his... 船の科学館「今日の海の日」鳳凰丸 https://blog.canpan.info/funenokagaku... 下田市「ペリー黒船艦隊来航と日本開国」 https://www.city.shimoda.shizuoka.jp/... 東京大学史料編纂所 研究紀要18(松方冬子・別段風説書の解題) https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publicat... 東京都立図書館「江戸の大変」泰平の眠りをさます上喜撰 https://www.library.metro.tokyo.lg.jp... ※ 日付は和暦と西暦を突き合わせて確認しています。ペリー再来航の隻数は、資料によって6隻とも9隻とも書かれているため本編でも両方を出しました。阿部正弘の諮問に集まった意見の通数は、今回の調査では一次・公的資料で確認できなかったため、数には触れていません。 ▼画像クレジット 1854年 神奈川での行列(Wilhelm Heine)|Wikimedia Commons (Public domain) 1854年の黒船の摺物|Wikimedia Commons (Public domain) プチャーチンの一行(1853年・日本の絵師)|Wikimedia Commons (Public domain) マシュー・ペリー(Mathew B. Brady 撮影)|Wikimedia Commons (Public domain) 下田での会見(1854年・E. M. Brown after W. Heine)|Wikimedia Commons (Public domain) 久里浜への上陸(1855年・E. M. Brown after W. Heine)|National Portrait Gallery (CC0) 品川台場の砲|PHGCOM / Wikimedia Commons (Public domain) 川路聖謨|東洋文化協會 / Wikimedia Commons (Public domain) 徳川家慶(狩野派)|Wikimedia Commons (Public domain) 徳川斉昭|東洋文化協會 / Wikimedia Commons (Public domain) 日米和親条約 批准書(1855年)|© World Imaging / Wikimedia Commons (CC BY-SA 3.0) 日米和親条約(英文)|U.S. Government / Wikimedia Commons (Public domain) 江川英龍 自画像|Wikimedia Commons (Public domain) 第三台場の砲台跡|ja.wikipedia User:sugar / Wikimedia Commons (CC BY-SA 3.0) 第三台場(台場公園)|© Guilhem Vellut / Wikimedia Commons (CC BY 2.0) 長崎のパルラダ号(1854年・日本の絵師)|Wikimedia Commons (Public domain) 阿部正弘|東洋文化協會 / Wikimedia Commons (Public domain) 鳳凰丸|Wikimedia Commons (Public domain) 図解・サムネ加工は本チャンネル作成 ▼クレジット 音声:VOICEVOX:ずんだもん/VOICEVOX:中国うさぎ/VOICEVOX:玄野武宏 BGM:DOVA-SYNDROME(https://dova-s.jp)