なぜローマ兵は敵のそばで眠るのを恐れなかったのか?
太古の記憶
0:00 / 0:00
なぜローマ兵は敵のそばで眠るのを恐れなかったのか?
109 просмотров · 5 дн. назад
太古の記憶
27 подписчиков
109 просмотров · 5 дн. назад
なぜローマ兵は敵のそばで眠るのを恐れなかったのか?
紀元前2世紀、ヒスパニアの高原。日が傾くころ、一人の兵士が手のひらほどの木の札を握りしめ、隣の隊の指揮官のもとへ急ぐ。敵の陣は、丘ひとつ向こうだ。
ローマ兵は、勇気で眠ったのではない。手順で眠ったのだ。
情報源となった史料
・ポリビオス『歴史』6巻(ローマ軍の陣営・合言葉の札・歩哨・棍打ちの刑) — https://en.wikipedia.org/wiki/Polybius
陣の配置、天幕と土塁のあいだの約60メートルの空き地、札が陣を一周する手順、居眠りした歩哨への刑を伝える。ギリシア出身の著者が外から見た、紀元前2世紀の整った共和政軍の姿だ。
・ローマ軍の野営地(カストラ) — https://en.wikipedia.org/wiki/Castra
土塁と溝で囲んだ、四隅の丸い長方形の陣。ブリテン島などで跡が数多く確認されているが、多くは1〜3世紀のものだ。
・棍打ちの刑(フスティワリウム) — https://en.wikipedia.org/wiki/Fustuarium
持ち場での居眠りなどに科された刑。命を落とす例が多いと伝わるが、実際にどれだけ執行されたかは分からない。
・十分の一刑 — https://en.wikipedia.org/wiki/Decimat...)
逃げ出した部隊から、くじで十人に一人を選んで打ち殺した。軍紀の厳しさを示す例として語られる。
・カンナエの戦い — https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_...
紀元前216年、ローマ軍の大敗。ポリビオスは戦死者を約7万人と伝えるが、古代の数字は誇張されやすい。
・アッピアノス『ローマ史』(ヌマンティア戦争) — https://en.wikipedia.org/wiki/Numanti...
スキピオ・アエミリアヌスが、紀元前134年に崩れた軍紀を立て直し、ヌマンティアを包囲した経緯。著者は2世紀の人で、出来事から約300年後に書いている。
・ヌマンティア包囲戦の遺跡 — https://en.wikipedia.org/wiki/Siege_o...
シュルテンの調査した包囲陣の跡は、七つの砦という記述と大筋で合うと考えられている。
・ウェゲティウス『軍事論』 — https://en.wikipedia.org/wiki/Vegetius
夜を四つの当番に分け、水時計とラッパで交代させる制度。ただし4世紀末の著作で、昔の制度を振り返っているため、細部は割り引いて読む必要がある。
・ヨセフス『ユダヤ戦記』 — https://en.wikipedia.org/wiki/Josephus
1世紀、ローマ軍は敵地でも陣を築き終えるまで戦わず、地面がでこぼこなら均して四角い陣を造ったという。
・クセノポン『アナバシス』 — https://en.wikipedia.org/wiki/Anabasi...)
ペルシア軍は夜、馬が動けないため、敵から約11キロも離れて野営した。距離で守るペルシアと、手順で守るローマの対比に使った。
ご注意
冒頭の兵士は、実在の特定の人物ではなく、史料に残る無数の兵士の姿を一人にまとめた再現です。札が一周するあいだの陣の静けさや、歩哨の心の中は、記録がなく、想像で補っています。また、史料の書き手は将軍や外部の観察者に偏っていて、一般の兵士自身の言葉は、ほとんど残っていません。
最後に
札も、溝も、見回りも、棍棒も、敵ではなく、陣の内側を向いていました。ローマ兵が眠れたのは、誰かが目を覚ましていたからです。
あなたが毎晩ぐっすり眠れているのは、誰の見えない夜更かしのおかげだと思いますか? ぜひコメント欄で教えてください。