なぜローマの敵は、何よりもローマ軍団を恐れたのか?
太古の記憶
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なぜローマの敵は、何よりもローマ軍団を恐れたのか?
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太古の記憶
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なぜローマの敵は、何よりもローマ軍団を恐れたのか?
西暦67年、ガリラヤの山あいの町ヨタパタ。城壁の上から見下ろす斜面に、約6万のローマ軍が現れる。ところが彼らは攻めてこない。疲れ切った体で最初に始めるのは、穴掘りだ。日が暮れるころには野原に四角い陣地が立ち上がり、夜が明ければ、その町は消える。
■ この動画で辿る3つの舞台
【第1幕:陣地と訓練】
・ヨセフス『ユダヤ戦記』(ローマ、1世紀) — https://en.wikipedia.org/wiki/The_Jew...
ヨタパタを守った指揮官が、のちにローマ側で書いた記録。毎晩の野営や戦いのない日の訓練を詳しく描く。ローマの強さを伝える意図もあるため、称賛は割り引いて読む必要がある。
・ヨタパタ包囲戦(ガリラヤ、西暦67年) — https://en.wikipedia.org/wiki/Siege_o...
47日間の包囲のあと、霧の夜明けに陥落したと伝わる。ローマ軍が土を盛って攻め口をつくった作業は、毎晩の穴掘りの延長だった。犠牲者の数字は誇張されている可能性が高い。
・ポリビオス『歴史』(紀元前2世紀) — https://en.wikipedia.org/wiki/Histori...)
ローマで人質として暮らしたギリシア人が、どこでも同じ配置の野営や、木の札で回す見張りの仕組みを書き留めた。外から見た観察者の証言として貴重。
・ウェゲティウス『軍事論』(4世紀末〜5世紀初め頃) — https://en.wikipedia.org/wiki/De_re_m...
本物の2倍の重さの木剣で訓練した、という話で知られる。ただし軍が衰えた時代の人間が過去を理想化して書いた面があり、細かい数字はそのまま信じられない。
【第2幕:負けと記録】
・カンナエの戦い(イタリア南部、紀元前216年) — https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_...
ハンニバルに壊滅させられても、ローマは降伏せず、奴隷まで武装させて軍を作り直したと伝わる。戦死者の数は古代の著者が大きく書きがちだが、致命的な敗北だったことは確かだ。
・アラウシオの戦い(ガリア南部、紀元前105年頃) — https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_...
キンブリ族に大敗したあと、剣闘士の訓練師が軍に招かれたと伝えられる。負けた時期に教え方が変わる、という軍隊の性格がよく出ている。
・トイトブルクの森の戦い(ゲルマニア、西暦9年) — https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_...
三個軍団が待ち伏せで全滅した。6年後、ゲルマニクスの軍が現地で骨を埋葬し、失われた鷲の軍旗も取り戻された。勝った側にとっては、どれだけ大きく勝ってもローマは戻ってくる、という悪い知らせだった。
・ウィンドランダ文書(イングランド北部、1世紀末頃) — https://en.wikipedia.org/wiki/Vindola...
砦から見つかった木の薄板の文書。病人、負傷者、目の炎症で戦えない兵士の数まで項目ごとに記され、靴下や下着を送った書き付けも残る。敵からは見えない、軍の管理の細かさを示す一次史料。
【第3幕:恐怖と比較】
・十分の一刑(ローマ軍の刑罰) — https://en.wikipedia.org/wiki/Decimat...)
総崩れになった部隊の10人にひとりを、くじで選んで仲間の手で殺させる刑罰。実際に行われることはまれだったと考えられている。それでも、兵士が敵より指揮官を恐れる状態をつくり、持ち場を守らせた。
・商鞅の改革(秦、紀元前4世紀) — https://en.wikipedia.org/wiki/Shang_Yang
敵の首の数で爵位を与え、五人組の連帯責任で逃亡を防いだと伝わる。褒美と罰で兵を前に押し出した秦に対し、ローマはその上に、野営と訓練と記録という退屈な習慣を重ねた。
・兵馬俑の弩と睡虎地秦簡(秦、紀元前3世紀) — https://en.wikipedia.org/wiki/Terraco...
弩の青銅の部品は規格がそろい、取り替えがきいたと研究者は指摘する。睡虎地から出た法律の竹簡には、役人の仕事も罰則も細かく書かれていた。秦もまた、仕組みで動く国家だった。
・カストラ(ローマの野営地・砦) — https://en.wikipedia.org/wiki/Castra
チェスター、ランカスター、ウィンチェスターなどの地名の語源とされる。毎晩建てて毎朝去るはずの陣地が、ときどきそのまま町になった。ただし、すべての町が陣地の設計図から生まれたわけではない。
■ ひとこと
ローマ軍団は、無敵を目指して作られた機械ではなく、負けることを前提に、そこから立ち直るために作られた機械だったのかもしれません。ただ、その仕組みの学費を払ったのは、ローマ兵だけでなく、軍団の前に立たされた人々でもありました。避難訓練が退屈なまま続いているのは、まだ誰も、取り返しのつかない夜を迎えていないということでもあるのです。
みなさんの身近で、誰かの失敗が仕組みに変わった例といえば、何が思い浮かびますか。ぜひコメント欄で教えてください。