桶狭間の戦い 完全図解|「迂回奇襲」は作り話?信長公記で読む正面攻撃と今川義元の最期
図解・戦国
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桶狭間の戦い 完全図解|「迂回奇襲」は作り話?信長公記で読む正面攻撃と今川義元の最期
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永禄三年(1560)五月十九日、尾張の桶狭間で、東海一の大大名・今川義元が、27歳の織田信長に討ち取られました。
「信長は山を大きく回り込み、雨にまぎれて、休んでいた義元の本陣を奇襲した」――教科書や時代劇でおなじみのこの物語は、実は江戸時代の軍記物から広まったものだといわれています。
今川義元の本当の目的、鳴海城・大高城をめぐる国境の争い、決戦の朝の動き、そして信長の家臣・太田牛一が書いた『信長公記』が伝える「正面攻撃」まで。桶狭間の戦いを、オリジナルの地図アニメーションと図解でまるごと解説します。
▼チャプター
0:00 オープニング
0:47 第一章 海道一の弓取り
1:47 第二章 国境の城をめぐって
2:37 第三章 今川軍、動く
3:33 第四章 決戦の朝
4:37 第五章 迂回奇襲という物語
5:29 第六章 信長公記が語る正面攻撃
6:53 第七章 義元、討たれる
7:39 第八章 戦いのあと
8:23 まとめ
9:03 今日の名言「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」
▼この動画について
・地図・布陣図・図解は、当チャンネルのオリジナルです。地図は当時の海岸線や地形を簡略化した模式図です。
・日付は旧暦(和暦)です。兵力・砦の位置・義元本陣の場所などには諸説あります。
・「迂回奇襲説」は小瀬甫庵『信長記』(江戸時代初め)などに由来し、明治の陸軍参謀本部の戦史にも採用されて広まりました。「正面攻撃説」は藤本正行氏らが『信長公記』の記述をもとに唱えたものです。
・今川義元の出陣目的(上洛説・国境確保説など)にも諸説あります。
・「今日の名言」の一節は、幸若舞「敦盛」のものです。桶狭間の朝に信長がこれを舞ったことは『信長公記』に記されています。
▼クレジット
ナレーション:運営者本人の声をAI音声合成(Fish Audio)で使用
BGM:当チャンネルのオリジナル
肖像画:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
織田信長像(狩野宗秀・長興寺所蔵)/今川義元(落合芳幾『太平記英勇伝』)/徳川家康像(狩野探幽)
あなたは迂回奇襲派?正面攻撃派?ぜひコメントで教えてください。
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