昭和天皇の母は豊臣の子孫…と言われてきた。その系図の始まりにいる息子は、本当に完子の子なのか|豊臣完子のその後【豊臣兄弟!】
ひもとく日本史
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昭和天皇の母は豊臣の子孫…と言われてきた。その系図の始まりにいる息子は、本当に完子の子なのか|豊臣完子のその後【豊臣兄弟!】
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慶長9年(1604)、豊臣家で淀殿に育てられた完子は、関白の家・九条家に嫁ぎました。その翌月、母の江は江戸で家光を産んでいます。
完子の息子・九条道房から数えて9代目が、昭和天皇の母・貞明皇后(九条節子)。完子の血は皇室にまでつながっている、と言われてきました。
ところが2025年、一冊の研究書が、その言い伝えの土台をゆるがす記録に光を当てます。豊臣の娘が徳川の時代を生き、系図の分かれ目に立つまでをたどります。
▼目次
0:00 序章 1604年の嫁入り
1:20 第一章 伯母のもとで
2:20 第二章 関白の家へ
3:59 第三章 北政所
5:35 第四章 落城のあとで
7:00 第五章 国母の願い
8:51 第六章 系図の分かれ目
▼動画で紹介した記録・研究について
・嫁入りの行列と完子の生い立ち(「三好小吉の娘」「秀頼の母の猶子」):舟橋秀賢の日記『慶長日件録』慶長9年6月3日条
・九条家の御殿のふすま絵と『車争図屏風』(重要文化財・東京国立博物館蔵)を完子の嫁入りと重ねる見方:美術史研究者・野田麻美氏の指摘による
・狩野山楽の助命を、幸家と完子が江を通じて秀忠に願ったとする見方:五十嵐公一氏による
・道房の母を「秀忠の娘、実は豊臣秀勝の娘」とする書き込み:『諸家譜』(九条道房の項)
・松殿家再興の日の記事「是自先年国母御執奏也」:九条道房の日記『道房公記』寛永11年7月29日条。三男が家光と和子の甥にあたることを大きな理由とみる説は、長坂良宏氏による
・完子の子は「御息女二人」とする『崇源院殿之伝系』と、完子が実際に産んだのは2人の娘だけだった可能性が高いとする見方:黒田基樹『羽柴秀吉とその一族』(角川選書、2025年)による。これは研究者の見方の一つで、通説では完子は4男3女を産んだとされています
・待姫を鶴姫の娘とするのは徳川家の系譜による
※本動画は、史料に残る記録と研究者の見方をもとに構成しています。日付は旧暦、年齢は数え年です。
※肖像画・写真(下記)以外のイラストは、AIで生成したイメージです。
▼肖像画・写真(Wikimedia Commons/いずれもパブリックドメイン)
・伝淀殿像(模写・東京大学史料編纂所)、崇源院(江)像(養源院蔵)、豊臣秀吉像(狩野光信筆)、徳川家康像(大阪城天守閣蔵)、後水尾天皇像、徳川家光像(金山寺蔵)、東福門院(徳川和子)像
・九条節子(貞明皇后)婚礼の日の写真(1900年)
▼BGM
OpenTracks(旧DOVA-SYNDROME)
「沈黙の聖堂」「Storyteller」「faded away」 のる /「ノスタルジア」 こばっと /「懐かしの里」 今川彰人オーケストラ
▼ナレーション
VOICEVOX:青山龍星
完子の3人の息子は、本当に完子が産んだ子だったのか。みなさんはどう考えますか。ご意見をコメントで聞かせてください。
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#豊臣完子 #貞明皇后 #日本史 #その後