【奉天会戦】日本は勝ったのに、なぜロシア軍を追えなかったのか|両軍50万の3週間
REKISHI Japan | 日本の偉業、歴史を解説
0:00 / 0:00
【奉天会戦】日本は勝ったのに、なぜロシア軍を追えなかったのか|両軍50万の3週間
16 355 просмотров · 4 дн. назад
REKISHI Japan | 日本の偉業、歴史を解説
4,33 тыс. подписчиков
16 355 просмотров · 4 дн. назад
1905年3月10日、日本軍は満州の奉天(今の瀋陽)を占領しました。旅順を落とした第三軍が北へ向かい、両軍あわせて50万を超える兵が、およそ3週間にわたって戦った奉天会戦。日本は勝ちましたが、ロシア軍を追いきることはできませんでした。奉天とはどこなのか。日本軍はどれほど追い込まれていたのか。そして、なぜロシア軍を追いきれなかったのか。3つの段階に分けて、地図の模型と図で解き明かします。
0:00 冒頭
0:51 第1章 奉天とは、どこなのか
3:07 第2章 日本軍は、どれほど追い込まれていたのか
6:49 第3章 なぜ、ロシア軍を追いきれなかったのか
関連する動画
旅順攻囲戦 • 28センチ砲を海岸から運び上げた旅順攻囲戦 その重い決断を資料で追う
日本海海戦 2日間 • 東郷ターンの2分間が、日本海海戦を決めた
【この動画の数字】
・約25万・約31万: 日本とロシアの兵(防衛研究所の資料。日本の辞典の多くは25万対32万、ロシアは資料で28万〜36万)
・約1000門・約1200門: 大砲(2025年の英国の戦史の本による)。機関銃は日本 200〜254挺、ロシア 56挺(資料による)
・約7万〜7万5千・約9万: 日本の死傷と、ロシアの損害(捕虜2万余りを含む)
・約1万6千・8705: 記録の上の戦死(日本・ロシア)
・約380キロ: 旅順から奉天までの直線距離(地図の緯度・経度から計算。東京〜大阪の直線は約400キロ)
・約28万発: 日本軍が10日あまりで撃った砲弾(ある研究による。普仏戦争191日のドイツ軍の量に並ぶとされる)
【資料で分かれること・言い切れないこと】
・兵の数・死傷の数・戦線の長さ(80〜150キロ)・戦いが始まった日(2月19〜21日)は資料で分かれます
・ロシアの行方不明 約3万(うち捕虜 約2万1千)には戦死が含まれる可能性があり、戦死の比べ方は記録の上のものです
・クロパトキンが予備の兵を右へ左へ動かした話は、主に2025年の英国の戦史の本によります
・黒溝台でロシア軍が引いた理由は資料で説明が違います
・鴨緑江軍がどの指揮の下にあったかは資料で書き方が違います
・図と模型の地形・位置は模式図(おおよそ)です。弾薬と補充の兵の図は量の目盛りの無い模式図です
【参考資料】
・防衛研究所「日露戦争120年 ―日露戦争に関する旧日本陸海軍の史料―」
・アジア歴史資料センター 用語解説「独立重砲兵旅団」
・コトバンク「奉天会戦」(日本大百科全書・世界大百科事典・ブリタニカ国際大百科事典ほか)
・日本語版 Wikipedia「奉天会戦」「黒溝台会戦」「沙河会戦」「児玉源太郎」「秋山好古」「陸軍記念日」ほか(参考)
・英語版 Wikipedia「Battle of Mukden」「Battle of Sandepu」「Russo-Japanese War」「Aleksey Kuropatkin」「Chinese Eastern Railway」「Circum-Baikal Railway」(Valitutto『Mukden 1905』2025、Tohmatsu 2005 ほか、参考)
・ロシア語版 Wikipedia「Мукденское сражение」(参考)
・Victoria Daily Times 1905年3月10日(Internet Archive)
【画像】
奉天会戦の絵(F・ノイマン)、日本とフランスとロシアの雑誌・絵はがき、奉天会戦のあとの日本軍とロシア軍の写真、冬の満州を行軍するロシア軍(V・ブーラ)、ロシアの連隊の写真、旅順〜奉天の地図(1904年、ドイツ)、満州軍の首脳、奉天の宮殿の宝物と鳥居龍蔵、大山巌・児玉源太郎・秋山好古・クロパトキン・グリッペンベルクの肖像、アメリカの新聞の風刺画「Mukden Has Fallen」、奉天の城門の挿絵、冬の服の日本兵(1904年の新聞)、遼陽へ進む日本軍の塹壕、大山の奉天入城の絵(鹿子木孟郎)、凱旋の観兵式、ポーツマスの講和会議: パブリックドメイン(Wikimedia Commons ほか)
奉天の駅のシベリア鉄道の列車(1904年): Tekniska museet, CC BY 2.0(Wikimedia Commons)
図・地図の模型: 自作(旅順から北への道筋は1904年の地図に加筆)
サムネイルは当時の絵をもとにした生成画像です
【効果音】
効果音:OtoLogic(https://otologic.jp)CC BY 4.0
ナレーションは AI 音声を使用しています。
#奉天会戦 #日露戦争 #児玉源太郎