「半径10キロで高低差13メートル」黒溝台と奉天、満州の平原はなぜ冬の戦場になったのか【日露戦争・地形】
地形再審 и 兵器再審
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「半径10キロで高低差13メートル」黒溝台と奉天、満州の平原はなぜ冬の戦場になったのか【日露戦争・地形】
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1905年1月、凍った渾河のほとりの村、黒溝台。この村から半径10キロの範囲では、いちばん高い所と低い所の差が、およそ13メートルしかありません。遼陽、沙河、黒溝台、奉天。日露戦争の陸の決戦は、なぜ同じ一本の線の上に並んだのか。地形データと当時の史料で読み解きます。
東は険しい山、西は湿地の遼河と、戦いを広げない西岸。そのあいだの幅80キロあまりの「回廊」に、町と道と鉄道がありました。夏は4メートル前後の高粱が視界を消し、雨が道を泥に変える。冬は川も湿地も凍って道になり、丘のない野では凍った村の土壁が盾になる。春が近づけば砂が舞い、道はまた泥に戻る。イギリスの公式戦史、観戦武官イアン・ハミルトンの日記、ロシア軍に同行したアメリカ陸軍軍医ハバードの報告から、平原が季節ごとに戦い方を変えた様子をたどります。
▼チャプター
0:00 丘のない平原
1:18 I 山と沼のあいだ
2:02 遼沢 ─ 645年の記録
3:00 山すその鉄道
3:46 回廊の幅
4:20 II 夏の森、冬の野
4:30 4メートルの高粱
5:32 ハミルトンの冬
6:54 ハバード報告「冬は移動に有利」
7:50 III 13メートルの平原で
8:59 村の土壁
10:21 マイナス22度
12:16 IV なぜ奉天だったのか
12:27 盛京・奉天
13:52 西の平原を回る
15:22 V 黄塵と雪解け
15:29 3月9日の砂嵐
16:30 雪解けとの競争
17:30 結び 平原のその後
18:37 ハミルトンのその後
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▼この動画の作り方
地図・断面図・高低差は、宇宙から測った標高データ(AWS Terrain Tiles)をもとに、すべて自分たちで計算して描いています。「半径10キロで高低差およそ13メートル」は、木や家の影響を除くため、およそ500メートル四方の平均的な地形で計算した値です(データの解像度による誤差があります)。黒溝台・沈旦堡などの村の位置は当時の地図から読み取った概略です。河川の線は OpenStreetMap のデータで、現在の河道です。冒頭などの衛星画像は現在のもの(Sentinel-2・NASA)で、1905年当時の景色ではありません。史料は、イギリス陸海軍の公式戦史、イアン・ハミルトンの日記、アメリカ陸軍省の観戦報告(ハバード大佐)、『資治通鑑』を中心に読みました。写真・図版は当時の記録です。
▼参考文献・史料
・Official History (Naval and Military) of the Russo-Japanese War, Vol. I(1910), Vol. II(1912), Vol. III(1920)(英国 Committee of Imperial Defence 編、HMSO)
・Ian Hamilton, A Staff Officer's Scrap-Book during the Russo-Japanese War, Vol. II(1907)
・Reports of Military Observers Attached to the Armies in Manchuria during the Russo-Japanese War, Part II(Col. Valery Havard、米陸軍省、1906)
・司馬光『資治通鑑』巻197
・ウィキペディア日本語版「黒溝台会戦」「奉天会戦」(事実確認に使用)
▼地図・写真・音楽
地形データ:AWS Terrain Tiles(SRTM・GMTED・ETOPO1)
河川:© OpenStreetMap contributors(ODbL)
衛星画像:Sentinel-2 cloudless – https://s2maps.eu by EOX IT Services GmbH(Contains modified Copernicus Sentinel data 2016 & 2017)(CC BY 4.0)/NASA Blue Marble
図版:英国公式戦史 第3巻(1920年)の戦場パノラマ
地図:Encyclopædia Britannica 第11版(1911年)/米陸軍地図局 NK51-8(1956年)/P. Sprigade(1904年)/McCarthy, The Coming Power(1905年)
写真:Wikimedia Commons(パブリックドメイン:Collier's Weekly・La Ilustración Española y Americana 1905年、Réginald Kann 1905年、The Tacoma Times 1904年、Library of Congress(Robert L. Dunn)、米海軍 NH 134、帝国戦争博物館 Q 13503、フランス国立図書館(Agence Rol)、米陸軍医療部、国立故宮博物院 ほか)
写真「Mukden」立体写真:Tekniska museet(スウェーデン国立科学技術博物館), CC BY 2.0, via Wikimedia Commons
BGM:OpenTracks
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兵器と技術 ─ 兵器再審 / @heiki-saishin
ご家族に奉天や遼陽、撫順など満洲で暮らした方、満洲で兵役についた方がいらっしゃれば、聞いた話をぜひコメントで教えてください。
#日露戦争 #奉天会戦 #地形再審