皇帝一家は全員処刑…なのに「ロマノフ家」が今も続いている理由【歴史解説】
見てわかる世界史
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皇帝一家は全員処刑…なのに「ロマノフ家」が今も続いている理由【歴史解説】
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1918年7月17日、ロシア最後の皇帝ニコライ2世の一家7人は、エカテリンブルクの地下室で全員が処刑されました。
それなのに2021年、サンクトペテルブルクの大聖堂で「ロマノフ家の跡取り」の結婚式が開かれます。
「生き残った皇女アナスタシア」を名乗った女性の正体、DNA鑑定の決着、そして最後の謎を解いた1891年の大津事件の「血のシャツ」。皇帝一家が消えたあと、ロマノフ家がどうやって生き残ったのかを、図解でわかりやすくたどります。
目次
0:00 はじめに
1:27 300年の家と、日本で斬られた皇太子
3:29 皇帝一家と、怪しい男
6:02 退位と、閉ざされた逃げ道
8:25 地下室の夜
9:47 「私がアナスタシアです」
10:55 DNA が出した答え
13:36 117年後の大津
15:51 生き残ったロマノフたち
17:58 割れた跡取り
19:58 まとめ
20:34 締め
系図・史実には諸説あります。動画では「史実」と「伝承」を分けてお話ししています。誤りに気づいた方は、コメントで教えてください。
人物のセリフは、史料に残る言葉・伝わる言葉を、ナレーションとは別の声で読み上げたものです(出どころは画面に表示)。
主な参考
・Coble ほか「Mystery Solved: The Identification of the Two Missing Romanov Children Using DNA Analysis」PLoS ONE 4(3) e4838(2009年)
・ニコライ2世の日記(1917年3月2日・露暦)/アレクサンドラ皇后の手紙(1916年12月)
画像(Wikimedia Commons)
・1918 Jekateringburg - Ipatieff merchant's house where he was in captivity throughout the Romanov family - Ma Este - Hungarian Magasin 30 july 1925.jpg(Alexei Nametkin (?—1919)・CC BY-SA 4.0)
・ChurchOn Blood.jpg(作者不明・CC BY-SA 3.0)
・Мария Владимировна 2010 (cropped).jpg(orthodoxspain・CC BY 2.0)
・4024-2. Pushkin. Alexander Palace.jpg(GAlexandrova・CC BY-SA 4.0)
・Saint Isaac's Cathedral in SPB.jpeg(Florstein (Telegram:WikiPhoto.Space)・CC BY-SA 4.0)
・Saint Peter and Paul Cathedral in Saint Petersburg main facade.jpg(Wolfgang Moroder・CC BY-SA 3.0)
・00 2045 Winter Palace - Hermitage Museum St. Petersburg.jpg(W. Bulach・CC BY-SA 4.0)
#ロマノフ家 #ニコライ2世 #世界史