【実話】39歳まで、セリフのない役ばかりだった男|菅原文太
芸能人泣ける話
0:00 / 0:00
【実話】39歳まで、セリフのない役ばかりだった男|菅原文太
383 просмотра · 10 дней назад
芸能人泣ける話
4,34 тыс. подписчиков
383 просмотра · 10 дней назад
菅原文太さんが日本中に知られる顔になったのは、39歳のときでした。
1954年に旗揚げしたばかりの劇団四季へ1期生として入団しますが、出たのは端役ばかり。翌年に受けた別の劇団の採用試験には落選しています。
ファッションモデルを経て1958年に新東宝へ入社。「ハンサムタワーズ」の一人として売り出されましたが、会社は1961年に倒産しました。松竹へ移っても脇役が続きます。
1967年に東映へ移籍すると、モデル出身だったため「気取りやがって、あの野郎」と陰口を叩かれ、回ってくるのはセリフのほとんど付かない役ばかりでした。役をもらえないかと、以前からの知り合いだった監督の下宿を訪ねたこともあったといいます。
同じ世代には、3つ上に高倉健さん、2つ下に勝新太郎さん、1つ上に石原裕次郎さん。彼らがそれぞれの会社の看板として輝くのを見ながら、菅原さんは焦りを感じていたと語っています。
1973年、深作欣二監督『仁義なき戦い』が公開されます。菅原文太さん、39歳。デビューから17年が経っていました。
◆動画目次
00:00 プロローグ
00:30 第1章 画家の息子
00:57 第2章 端役と、落選
01:31 第3章 会社が潰れる
02:04 第4章 「気取りやがって」
02:43 第5章 同じ世代
03:06 第6章 39歳
03:35 第7章 そのあと
04:14 エピローグ
◆参考にした資料
(自動)
・写真は報道・公式の掲載ページから引用しています。出典は上記のとおりです。
・一部、人物が写らない情景の画像を生成して使用しています。
#菅原文太 #仁義なき戦い #トラック野郎