歌丸 正蔵 圓生 雲助 リク特 江戸怪談噺2【落語】怪談乳房榎 牡丹灯籠 御札はがし 死神
落語ch:荒獅子男乃助
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歌丸 正蔵 圓生 雲助 リク特 江戸怪談噺2【落語】怪談乳房榎 牡丹灯籠 御札はがし 死神
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歌丸 正蔵 圓生 雲助 リク特 江戸怪談噺2【落語】怪談乳房榎 牡丹灯籠 御札はがし 死神
0:48死神 22:21牡丹灯籠 41:51御札はがし 1:30:20怪談乳房榎 2:31:56エンドトーク
「死神」
初代三遊亭圓朝がグリム童話の第2版に収載された『死神の名付け親』を翻案したとする説やリッチ兄弟の歌劇「クリスピーノと代母(英語版)」とする説がある。呪文やサゲには多くのバリエーションがある。もっとも標準的なサゲは「あぁ、消える」と呟いた後、演者が高座に倒れ込む仕草落ち、他に流派や演者によって数多くの呪文やサゲが作られた。わずかな金の算段もできず女房から悪口雑言で馬鹿にされた男は家を飛び出し大きな木の下で首でもくくろうかと思っていると後ろから死神に声を掛けられ、医者をやれと提案される。男は半信半疑ながら死神の提案通りに医者の看板をかまぼこの板で作って掲げると・・・
六代目 五街道 雲助
2023年7月重要無形文化財保持者認定 2025年春の叙勲で旭日小綬章受章
代数については確かな資料もなく分からないのだが二ツ目昇進時、師匠の十代目金原亭馬生にお願いをして手拭いの柄を描いて貰った時に「六代目でいいやなぁ」と言われ、そのまま手ぬぐいの柄にも「六代目」と描かれたのでずっと「六代目」と名乗っている。前座で駒七と名乗っていた頃に師匠の馬生から、長女である志津子(池波志乃)の前で「一緒になる気はないか」と結婚を打診された事がある。自身が珍しい名前を名乗っていることから、弟子には真打昇進と同時に珍しい名前を名乗らせている。
「牡丹燈籠」
三遊亭圓朝25歳時の作品。「怪談牡丹燈籠(かいだんぼたんどうろう)」は、怪談噺。浅井了意による怪奇物語集「御伽婢子(寛文6年、1666年刊)」深川の米問屋に伝わる怪談、牛込の旗本家で聞いた実話などに着想を得て、幕末の1861年 - 1864年ごろ創作された。1884年(明治17年)に速記本が刊行されている。1892年(明治25年)7月には、3代目河竹新七により『怪異談牡丹燈籠』(かいだん ぼたん どうろう)として歌舞伎化され、5代目尾上菊五郎主演で歌舞伎座で上演されて大盛況だった。圓朝没後は、四代目橘家圓喬・五代目三遊亭圓生・六代目三遊亭圓生・五代目古今亭志ん生・初代林家彦六など歴代の著名な落語家が得意とした。
八代目 林家 正蔵 (林家 彦六)
正蔵の名跡は海老名家より借りていたもので、いずれは名跡を三平に返上するつもりでいたが、三平の好意により終生正蔵を名乗る事とし自らの死後三平に返上する事にした。しかし1980年三平の急死に伴い正蔵の名跡を海老名家に返上し「彦六」に改名したので俗に「彦六の正蔵」と呼ばれた。他にも居住地の「稲荷町(の師匠)」また性格から「トンガリの正蔵」とも呼ばれた。若い頃は、学があり理屈っぽいことから噺家仲間から「インテリ」・「新人」(学生運動団体の新人会から)と呼ばれ、「菜ッ葉服(労働服)をきて共産党とつきあっている」と陰口を叩かれた。実際に日本共産党の熱烈な支持者として知られるが、イデオロギーに共感した訳ではなく、本人談によれば「あたしゃ判官贔屓」あるいは「共産党は書生っぽいから好きなんですよ」とのことであった。
「牡丹燈籠:御札はがし」
「四谷怪談」や「皿屋敷」と並び日本三大怪談と称せられるが、広く知られる「お露の亡霊に取り憑かれた新三郎の悲劇」は、本来の長編から前半の中心部分を切り取って仕立て直した短編にあたる。浪人・萩原新三郎は、旗本・飯島平左衛門の娘・お露と知り合う。お互いに一目惚れした二人は理なき仲となり、お露は夜ごと牡丹灯籠を下げて新三郎の元を訪れ、逢瀬を重ねる。しかし、お露の正体は怨霊/亡霊だった。日ごとやつれてゆく新三郎に旅の修験者(または寺の和尚)が真言(マントラ)とお札を授け、家中の戸にこれを貼って期限日まで籠もり、夜が明けるまで決して出てはならない、と告げる。言われたとおり新三郎が閉じ籠もっていると、お露は家の周りを毎晩回るが中に入れないので恨めしげに(または悲しげに)呼びかける・・・。
六代目 三遊亭 圓生
落語家としてデビューした子供の頃に、他の落語家の高座を盗み聞きするだけで(稽古をつけられなくても)覚えていった噺も多いという。個人の持つ演目数としては、落語史上でも最多だったのではないかと言われている。古典落語・新作落語の別を問わず人気先行で芸を磨く事を怠る芸人を嫌い、草花は綺麗だが1年で枯れるしそればかりでは花壇になってしまう、日本庭園の松の木のようなしっかり磨いた芸を育てなければ、と語っていた。1978年に、日本の江戸落語の団体である落語協会において、当時の会長5代目柳家小さんらが行った真打大量昇進に対して、前会長で最高顧問の6代目三遊亭圓生がこれに反発する形で落語協会を脱退して一門弟子を連れ新団体の落語三遊協会を設立した
「怪談乳房榎」
三遊亭圓朝により創作された怪談噺である。新聞連載後、1888年(明治21年)に出版された。舞台化・映像化されている。絵師として活躍していた菱川重信の妻・おきせに惚れてしまった磯貝浪江という浪人は、重信の弟子となっておきせに近づき、関係を持たないと子供を殺すと脅迫し、おきせと関係を持ってしまう。それだけでは飽き足らない浪江はおきせを独占するため、師を惨殺する。夫の死のショックで乳の出なくなったおきせの元に、死んだ重信の亡霊が現れ、乳を出す不思議な榎が松月院にあると教え、やがてその榎の乳で育った子・真与太郎は父を殺した浪江を討ち仇を取る。
桂歌丸
今輔門下から兄弟子4代目桂米丸門下へ移籍したのは芸術協会で勃発した香盤問題や今輔が新作派なのに対し高座で古典落語ばかり演じていたことに端を発して破門状態となり一時落語からはなれていたが三遊亭扇馬(のちの3代目橘ノ圓)の肝いりで米丸門下として落語界に復帰した。「笑点」の初期メンバーで小圓遊との掛け合いはものすごく受けたが「あたしは落語を怠けている」と痛感し落語をちゃんとやることにしたという。歌舞伎は仕草や立振舞などを見て落語に活きるからと、中村吉右衛門出演の歌舞伎をよく観に行っていた。「歌丸」の名は師匠の四代目桂米丸が考案した名で歌丸は当代が初代である。
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