【石高】領地が増えない20万石を、なぜ盛岡藩は望んだのか
視点の地図帳
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【石高】領地が増えない20万石を、なぜ盛岡藩は望んだのか
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文化5年(1808)、盛岡藩・南部家の石高は、10万石から20万石になりました。ところが、新しい領地は増えておらず、その分の収入が増えたわけでもありません。しかも、この引き上げは南部家自身が求めていたものでした。
江戸時代は金・銀・銭が使われる「お金の時代」です。それなのに、なぜ大名の大きさは「百万石」のように米の量で表され続けたのでしょうか。
この動画では、戦国時代の撰銭(えりぜに)と米での支払い、信長の禁令、京枡と太閤検地、毛利氏が銀を集めた仕組み、仙台藩の表高と実高、そして盛岡藩の高直しまでをたどりながら、石高という数字が何を測っていたのかを考えます。
──この動画の問い──
・石高の「石」は、何を測る単位だったのか
・銭の時代に、なぜ人々は米で支払ったのか
・銀を払わせるのに、なぜ米で数えたのか
・同じ藩に、なぜ二つの石高があったのか
・領地が増えない20万石を、なぜ南部家は望んだのか
■ 目次(チャプター)
0:00 倍になった石高は、何を意味するのか
1:03 米の数字なのに、米そのものではない
2:26 銭で決めたのに、米で納める
4:01 禁じられても、米で払った
5:53 同じ1石に、同じ負担をかける
7:20 銀を払わせるのに、なぜ米で数えるのか
9:13 支払うお金と、役目を決める数字
10:59 同じ藩に、二つの石高
12:08 領地が増えない20万石を、なぜ望んだのか
15:17 数字が上がると、何が変わるのか
■ 主な参考文献・出典
〈書籍・研究〉
・高木久史『撰銭とビタ一文の戦国史』平凡社
・本多博之『天下統一とシルバーラッシュ―銀と戦国の流通革命』吉川弘文館
・鈴木宏「田名部上地問題について通説の再検討」(近世こもんじょ館)
(盛岡藩の高直しの経緯、南部家の内願、『雑々秘録』の引用は、この研究で紹介された史料によります)
〈自治体史・博物館・資料〉
・岩手県立博物館『博物館だより』116号(2008年)
・盛岡市の歴史概説(盛岡市の計画書 第1章)
・宮城県『宮城県統計年鑑』総説(仙台藩の表高・実高)
・『品川区史』(慶安の軍役の表)
・弘前市「弘前城天守」
※信長の禁令(永禄12年・精撰追加条々)と明智光秀家中軍法の原文は、上記の研究・公開資料によります。
※信長が米での支払いを禁じた目的(兵や働き手の食糧の確保)は、研究上の説明として紹介しています。
※石高制の成り立ちには研究者のあいだで複数の見方があり、本動画ではその一部を紹介しています。
※弘前城天守を「大藩にふさわしい体面を整える」ための例とする説明は、岩手県立博物館の解説によります。
■ 画像・資料の出典
・『日本輿地路程全図』(早稲田大学図書館 古典籍総合データベース)
・御検地水帳(早稲田大学図書館 古典籍総合データベース)
・日本の旧国地図「Provinces of Japan」(作者 Ash_Crow/Wikimedia Commons/CC BY 2.5)を配色と印を加工して使用
・安藤博編『徳川幕府県治要略』より「検地之図」「年貢米取立之図」(国立国会図書館デジタルコレクション/パブリックドメイン)
・楊洲周延『千代田之御表』より「諸侯登城」「将軍宣下」(国立国会図書館デジタルコレクション/パブリックドメイン)
・『人倫訓蒙図彙』より「両替屋」(国立国会図書館デジタルコレクション/パブリックドメイン)
・五七桐の紋(Wikimedia Commons/パブリックドメイン)
・弘前城天守の写真(Wikimedia Commons/CC0)
・人物のシルエット映像・一部の背景は、AIにより作成したイメージです。
#石高 #江戸時代 #日本史 #視点の地図帳