【北野大茶湯の謎】10日の予定がなぜ1日で終わったのか?一次史料を並べると、秀吉は一揆を知ったうえで開いていた【豊臣兄弟!】
大河の向こう側
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【北野大茶湯の謎】10日の予定がなぜ1日で終わったのか?一次史料を並べると、秀吉は一揆を知ったうえで開いていた【豊臣兄弟!】
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天正15年(1587年)10月1日、豊臣秀吉は京都・北野の松原で大茶湯を開きました。身分を問わず、茶の湯の好きな人はだれでも来てよい、という茶会です。
秀吉の触れには「十月朔日より十日の間」とありました。ところが大茶湯は、初日だけで終わります。
その場にいた公家・吉田兼見の日記『兼見卿記』、奈良・興福寺の僧の日記『多聞院日記』、九州から呼ばれた博多の商人の日記『宗湛日記』を、日付の順に並べてたどります。
画面のはんこは4つ。書き手がその場で見たことや当事者の命令は「当時の記録」、人から聞いて書いたものは「伝え聞き」、江戸時代以降の本にしか出てこない話は「後世の逸話」、研究者で見方が分かれるところは「諸説」としています。
📌 この動画でわかること
・秀吉の触れに書かれていた、出てよい人と、持ってくるもの
・来なかった者への、きびしい一文
・当日、茶はどんな順番で、だれの席で出されたのか
・その夜、公家が日記に書いた本音
・「1日でやめになった」と奈良に届いた知らせ
・「肥後の一揆の知らせで中止」という説を、日付で確かめる
本編で追いかける3つの謎
・10日の予定を、なぜ1日でやめたのか
・九州からただひとり呼ばれた博多の商人は、なぜ間に合わなかったのか
・あの日、何人が茶を飲んだのか
なぜ1日で終わったと思いますか? 理由といっしょに、コメントで教えてください。
次の回も見たい方は、高評価とチャンネル登録をお願いします。
⏱ 目次
0:00 オープニング:10日の予定と、1日で終わった大茶湯
1:48 1章 秀吉の触れ|天正15年8月
4:25 2章 支度|天正15年9月
7:17 3章 くじを引く|天正15年10月1日
9:40 4章 その日の夜|天正15年10月1日
11:18 5章 1日の分にて止む|天正15年10月4日
13:14 6章 西国の噂|天正15年 肥後
16:14 7章 ほかの説|満足・雨・初めから1日
17:33 8章 答え合わせ|3つの謎
※日付は当時の暦です。天正15年10月1日は、西暦では1587年11月1日にあたります。
※北野大茶湯の史実を扱います。ドラマを先に楽しみたい方はご注意ください。
※この動画は、NHKおよび大河ドラマ『豊臣兄弟!』の制作とは関係のない、個人の歴史解説です。番組の映像や写真は使っていません。
※ナレーションはAIの音声です。「AIによる再現イメージ」と出ている絵はAIで作った想像の絵で、史料ではありません。内容は下の史料と研究をもとに、人が確かめています。
📚 おもな史料・参考
・『多聞院日記』第4巻(辻善之助編・1939年、国立国会図書館デジタルコレクション) https://dl.ndl.go.jp/pid/1207483
・『兼見卿記』(『国史資料集』第3巻・1943年の翻刻、国立国会図書館) https://dl.ndl.go.jp/pid/1041438
・『北野大茶湯之記』(『群書類従』第12輯・1900年、国立国会図書館) https://dl.ndl.go.jp/pid/1879539
・『宗湛日記』(『福岡県史資料』第5輯・1935年、国立国会図書館) https://dl.ndl.go.jp/pid/1213915
・北野神社蔵の高札の翻刻(『豊公余韻』1939年)・写真(『京都茶業写真総覧』1924年)(国立国会図書館)
・東京大学史料編纂所編『史料綜覧』巻12(国立国会図書館) https://dl.ndl.go.jp/pid/2994258
・田中義成『豊臣時代史』(1925年、国立国会図書館) https://dl.ndl.go.jp/pid/1020522
・京都府「お茶の京都」北野天満宮インタビュー
🖼 画像:Wikimedia Commons・国立国会図書館ほか。作者とライセンスは各場面の右上に表示しています。一覧(各ページへのリンクつき)はコメント欄に載せています。
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