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【44歳の花嫁の謎】旭姫はなぜ家康に嫁がされたのか?一次史料を並べると、家康は一度「破談にしようか」と言っていた【豊臣兄弟!】

大河の向こう側

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【44歳の花嫁の謎】旭姫はなぜ家康に嫁がされたのか?一次史料を並べると、家康は一度「破談にしようか」と言っていた【豊臣兄弟!】

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大河の向こう側
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天正14年(1586年)5月、豊臣秀吉の妹・旭(旭姫、朝日姫)が、浜松の徳川家康のもとへ嫁ぎました。数えで44歳とされます。 けれど、この婚礼はすんなりとは進みませんでした。決まった日が延び、また延びて、家康は一度「破談にしようか」とまで口にしています。 家康の家臣・松平家忠の日記『家忠日記』を中心に、奈良の僧の日記『多聞院日記』、東京大学史料編纂所の年表『史料綜覧』を、日付の順に並べてたどります。 画面のはんこは4つ。書き手がその場で見たことや当事者の命令・手紙は「当時の記録」、人から聞いて書いたものは「伝え聞き」、江戸時代以降の本にしか出てこない話は「後世の逸話」、研究者で見方が分かれるところは「諸説」としています。 📌 この動画でわかること ・小牧・長久手のあと、秀吉の妹との縁組が持ちこまれたいきさつ ・家忠の日記に残る、婚礼の支度と日取り ・池鯉鮒での受け取りから、浜松に入るまで ・前の夫の話は、どの本に出てくるのか ・母の大政所が三河へ下った、表向きの名目 ・旭の最期と、駿府の瑞龍寺に残る墓 本編で追いかける3つの謎 ・婚礼は、なぜ何度も延びたのか ・前の夫は、本当に腹を切ったのか ・嫁いだあとの旭は、どうなったのか 旭の縁組を、いちばん必要としていたのは、だれだったと思いますか? 秀吉か、家康か、それとも信雄か。理由といっしょに、コメントで教えてください。 チャンネル登録とベルの設定をしておくと、次の回のお知らせが届きます。 ⏱ 目次 0:00 オープニング:決まった日が、また延びた 1:46 1章 秀吉の妹|天正14年 3:09 2章 4月28日|天正14年4月 4:54 3章 結納の使い|天正14年4月19日 7:46 4章 5月9日|天正14年5月 10:11 5章 浜松へ|天正14年5月11日〜16日 11:56 6章 前の夫|江戸時代の本で 13:38 7章 母も三河へ|天正14年10月 15:32 8章 京で|天正16年〜18年 17:14 9章 答え合わせ|3つの謎 ※日付は当時の暦です。天正14年5月14日は、西暦では1586年6月30日にあたります。 ※旭姫の輿入れの史実を扱います。ドラマを先に楽しみたい方はご注意ください。 ※この動画は、NHKおよび大河ドラマ『豊臣兄弟!』の制作とは関係のない、個人の歴史解説です。番組の映像や写真は使っていません。 ※ナレーションはAIの音声です。「AIによる再現イメージ」と出ている絵はAIで作った想像の絵で、史料ではありません。内容は下の史料と研究をもとに、人が確かめています。 ※『家忠日記』は、『岡崎市史』(1935年)の本文に引かれた形で読みました。 📚 おもな史料・参考 ・『家忠日記』(『岡崎市史』別巻下巻 1935年に引用、国立国会図書館デジタルコレクション) https://dl.ndl.go.jp/pid/1170626 ・『多聞院日記』第4巻(辻善之助編・1939年、国立国会図書館) https://dl.ndl.go.jp/pid/1207483 ・東京大学史料編纂所編『史料綜覧』巻12(国立国会図書館) https://dl.ndl.go.jp/pid/2994258 🖼 画像:Wikimedia Commons・国立国会図書館ほか。作者とライセンスは各場面の右上に表示しています。一覧(各ページへのリンクつき)はコメント欄に載せています。 #豊臣兄弟 #大河ドラマ #旭姫 #朝日姫 #徳川家康 #豊臣秀吉 #大政所 #本多忠勝 #日本史 #歴史解説 #大河の向こう側