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芳賀友達いない問題を精神科医が解説します。

精神科医 芳賀高浩

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芳賀友達いない問題を精神科医が解説します。

17 178 просмотров · 1 месяц назад
精神科医 芳賀高浩
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こんばんは。精神科医の芳賀高浩です。 今日は、「友達がいない」という話を入口にして、『私の中の希死念慮ちゃん』でも紹介している、希死念慮のもとになりやすい考え方についてお話しします。 具体的には、「過度の一般化」「価値の相対化」「愛情の条件化」です。これは、強いストレスがかかったときに、人がつい陥りやすい心の罠でもあります。今回は、私自身の「週末に飲みに行く相手が見つからなかった」という、かなり身近な出来事を例にして説明していきます。 私は普段、家で一人でお酒を飲むことはほとんどありません。平日も飲みません。飲むとしたら、基本的には飲み会のときです。 ところが、今週の土曜日だけは、どうしても飲みに行きたくなりました。なんとなくバイオリズム的に、「今日は誰かと飲みに行きたいな」と思ったわけです。ただ、いつもよく飲んでいる人たちとはしょっちゅう飲んでいるので、少し目先を変えて、普段とは違う人と飲みたい気分でした。 そこで私は、Facebookに投稿してみました。私はFacebookを、かなりクローズな形で使っています。YouTubeやInstagram、TikTokのように不特定多数の方とつながっているわけではなく、Facebookでは中学・高校・大学の同級生、研修医時代の仲間など、リアルの知り合いだけとつながっています。人数としては300人ほどです。 そのFacebookに、「今週の土曜日、夜7時から飲める方はいませんか。DMください」と投稿しました。 さて、結果はどうだったか。 DMはゼロでした。ゼロに近い、ではありません。文字通りゼロです。 コメントもゼロでした。そして、特筆すべきことに、いいねもゼロでした。 Facebookでこんなことがあるのかと思いました。もちろん、他の人が「今週末飲みに行ける人いませんか」と投稿しているのは何度も見たことがあります。そういう投稿には、「その日は無理ですが、ぜひまた飲みたいです」といったコメントがついたり、しばらくすると「お相手が見つかりました。皆さんありがとうございました」といった投稿が出たりします。 ところが私の場合は、DMも、コメントも、いいねも、すべてゼロでした。 これはなかなか悲しいものです。嫌な気持ちになります。不快な気持ちにもなります。「いいねぐらい押してくれてもいいじゃないか」と思ってしまうわけです。中学の同級生、高校の同級生、大学の同級生、研修医時代の仲間たちはどこへ行ってしまったのか。少なくともエチケットとして、いいねぐらいあってもいいのではないか、そんな気持ちにもなりました。 ここで出てくるのが、希死念慮につながりやすい考え方です。 まず一つ目は、「過度の一般化」です。 私はこの結果を受けて、「自分には友達が1人もいないのではないか」と感じました。45年間生きてきて、それなりに友達もいて、人付き合いもしてきたつもりでした。しかし、週末に飲みに行きたいと思って声をかけたとき、誰からも反応がなかった。すると、「自分には友達がいない」「自分の45年間は何だったのか」と、一気に考えが広がってしまうわけです。 でも、冷静に考えれば、これは一つの出来事にすぎません。たまたまその投稿を見ていなかった人もいるでしょうし、その日は都合が悪かった人もいるでしょう。Facebookをあまり見ていない人もいるはずです。 それにもかかわらず、一つの出来事をもとに「自分には友達がいない」と全体に広げてしまう。これが過度の一般化です。 人は嫌なことが起きると、この罠にさらされやすくなります。今回の私の場合で言えば、「飲みに誘っても誰も反応しなかった」という一点から、「自分には友達が1人もいない」と感じてしまう。これが、嫌な気持ちをさらに大きくしていくのです。 二つ目は、「価値の相対化」です。 私の目的は、ただ週末に飲みに行く相手を見つけることでした。本来は、それだけの話です。ところが、他の人の投稿には反応がある。いいねもつく。DMも来ていそうに見える。それと自分を比べた瞬間に、「あの人には反応があるのに、自分にはない」と、惨めな気持ちになってしまいます。 本当は、他の人が何人から誘われようが、何個いいねをもらおうが、私の幸せとは直接関係ありません。他人の反応と自分の反応を比べる必要はないはずです。 しかし、いざ自分の投稿にDMが一つも来ない、コメントもつかない、いいねすらつかないとなると、やはり比べてしまうのです。「他の人なら反応があるのに、自分にはない」と思ってしまう。これが価値の相対化です。 価値を他人との比較で決め始めると、心はとても苦しくなります。自分の価値が、いいねの数やDMの数で決まるように感じてしまうからです。 三つ目は、「愛情の条件化」です。 私は普段、誰かと飲みに行くとき、自分からLINEで誘い、店を予約し、段取りを組むことが多いです。そうしないと、飲み会が成立しないこともあります。 すると、いつの間にか「自分から直接誘って、店を予約して、段取りをしなければ、自分は飲みに行く価値のない人間なのではないか」と感じてしまうことがあります。 これが愛情の条件化です。 「自分が頑張って誘わなければ、人は自分と会ってくれない」 「自分が段取りをしなければ、自分には価値がない」 「自分が何かを提供しなければ、愛されない」 このように、愛情や人とのつながりに条件をつけてしまうわけです。今回の私の場合で言えば、「芳賀が店を予約して、予定を組んで、相手に直接連絡しなければ、飲みに行く価値がない」と、自分で自分を見てしまう。これが愛情の条件化です。 「過度の一般化」「価値の相対化」「愛情の条件化」。 この三つは、希死念慮が好みやすい考え方です。たった一つ、「週末飲みに行ける人はいませんか」と投稿して反応がなかっただけでも、この三つの考え方が一気に押し寄せてくることがあります。 私は幸い、それで「死にたい」とまでは思いませんでした。しかし、同じような出来事で深く傷つく人はいると思います。誰かに声をかけたのに無反応だった。全員から無視されたように感じた。そういう経験が、「自分には価値がない」「自分は誰からも必要とされていない」という気持ちにつながることは十分にあり得ます。 だからこそ、この考え方の罠に気づくことが大切です。 一つの出来事を、人生全体に広げすぎていないか。 他人との比較で、自分の価値を決めていないか。 何かをしなければ愛されない、と考えていないか。 この三つに気づくだけでも、心の苦しさは少し変わってくると思います。 ということで、今日の題材は「芳賀、友達が1人もいない問題」でした。なかなかパワーのある題材名ではないでしょうか。 今回紹介した「過度の一般化」「価値の相対化」「愛情の条件化」は、『私の中の希死念慮ちゃん』の中でも紹介しています。おかげさまで、この本は第5刷が出ることになりました。7月中旬ごろに出る予定です。 今回は、以前朗読した際に気になった表現や、今の私の状況と少しずれている部分をいくつか修正しました。内容が大きく変わったわけではありませんが、表現としては少し新しくなっています。すでに第1刷から第4刷を持っている方が、改めて買い直す必要はありません。ただ、これから手に取る方には、より今の感覚に近い形で読んでいただけると思います。 明日も必ず19時にお会いしましょう。 ではまた明日。さようなら。