最後の将軍・徳川慶喜の家のその後。手放した本家は19代目まで続き、自ら立てた公爵家は『自分の代で閉じる』…なぜ?
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最後の将軍・徳川慶喜の家のその後。手放した本家は19代目まで続き、自ら立てた公爵家は『自分の代で閉じる』…なぜ?
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最後の将軍・徳川慶喜(1837–1913)の家は、その後どうなったのか。大政奉還のあと静岡で30年を趣味に生き、1902年に本家から独立して公爵・徳川慶喜家を立てた慶喜。その家は5代目が「自分の代で閉じる」と公表し、一方で慶喜が手放した徳川宗家は、19代目の徳川家広さんへと続いています。2つの徳川家の120年を追います。
📌 この動画でわかること
・将軍をやめた慶喜が、静岡で30年なにをして暮らしていたのか
・慶喜の墓が、歴代将軍の寺ではなく谷中霊園の丸い墓である理由
・徳川慶喜家が閉じられ、徳川宗家が続いた理由
■目次
0:00 二つの徳川家
2:42 江戸城に入らなかった将軍
5:53 趣味に生きた30年
7:45 本家を継いだ少年
8:38 30年ぶりの再会
10:51 丸い墓の答え
11:29 37歳の急死
14:25 カメラを持ったひ孫
16:14 続いた本家
16:58 3つの謎の答え
■主な参考文献
・家近良樹『徳川慶喜』
・松浦玲『徳川慶喜』
・『昔夢会筆記』
・徳川慶朝『徳川慶喜家にようこそ』
・霞会館『平成新修旧華族家系大成』
(諸説ある部分は動画内で分けて紹介しています)
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#徳川慶喜 #日本史 #最後の将軍