江戸時代、伊豆大島と八丈島の人々はどう暮らしたのか?くさや・黄八丈・飢饉を越える知恵
一日のむかし
0:00 / 0:00
江戸時代、伊豆大島と八丈島の人々はどう暮らしたのか?くさや・黄八丈・飢饉を越える知恵
171 просмотр · 21 ч назад
一日のむかし
3,54 тыс. подписчиков
171 просмотр · 21 ч назад
伊豆諸島には、何十年、何百年と使い続けられてきた漬け汁があります。
「くさや汁」です。
なぜ、捨てずに使い続けたのか。
理由は単純でした。塩が、あまりにも貴重だったからです。
本土から遠く離れた島では、手に入るものが限られています。
米は十分に穫れず、物資の船は天候次第。
一度の不作が、そのまま飢えに直結しました。
その条件の中で、人々は二つのものを生み出します。
一つは、塩水を繰り返し使い、発酵させて魚を保存する技術。
もう一つは、島に自生する草と樹皮から色を取り出し、
絹を染めて織り上げる技術でした。
くさやと、黄八丈。
どちらも「島にあるものだけで、どう生きるか」という問いへの
長い時間をかけた答えだったのです。
📺 この動画で分かること
▸ 伊豆大島と八丈島が置かれていた地理的な条件
▸ 本土から290キロという距離が意味したもの
▸ 米の収穫が限られた島で、何を食べていたのか
▸ くさや汁を使い続けた理由と、塩という制約
▸ ムロアジ・トビウオ・シイラ:原料となった魚たち
▸ 漬ける、干す、そして保存するという工程
▸ 島ごと・家ごとに違ったくさや汁の味
▸ 黄八丈:島に自生する植物から色を取り出す技術
▸ コブナグサ・マダミ・シイの樹皮という染料
▸ 黄・樺・黒という三色が生まれるまで
▸ 織物が年貢として納められていたということ
▸ 不作と凶作に備えるための蓄えと決まりごと
▸ 穀物で酒を造ることが禁じられていた理由
▸ 1853年、サツマイモの焼酎が伝わるまで
▸ 流人たちが島にもたらした技術と知識
▸ 限られた資源の中で、人々が選んだ生き方
🔑 キーワード
伊豆大島 / 八丈島 / 伊豆諸島 / くさや / くさや汁 / ムロアジ / トビウオ / 黄八丈 / コブナグサ / 絹織物 / 流人 / 飢饉 / 島酒 / 焼酎 / 年貢
https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/d...
・伊豆諸島のくさやについて(サライ.jp)
https://serai.jp/gourmet/174736
・八丈島に残る流刑地の面影と島酒
https://www.sakigake.jp/news/article/...
・陣屋跡(大里の玉石垣)について(国土交通省 観光庁)
https://www.mlit.go.jp/kankocho/cruis...
⚠️ 補足1:くさやの製法について。長年使い続けられる漬け汁「くさや汁」に、ムロアジ(クサヤモロ)、トビウオ、シイラなどの魚を漬け込み、天日で干して作ります。くさや汁は店ごと・家ごとに受け継がれるもので、それが味の決め手となるため、同じ伊豆諸島でも島によって風味が異なります。
⚠️ 補足2:くさやの起源について。塩が貴重であったため、魚を漬けた塩水を捨てずに繰り返し使ううちに発酵が進み、独特の風味を持つ漬け汁になったと言われています。これは広く語られる説明ですが、成立の経緯を直接示す史料は限られており、本動画では伝承として扱っています。
⚠️ 補足3:名前の由来について。魚河岸でその匂いから「くさいや」と言われ、それが訛って「くさや」になったとする説があります。
⚠️ 補足4:八丈島の流人について。記録に残る最初の流人は、関ヶ原の戦いに敗れた宇喜多秀家です。制度が廃止されるまでにおよそ1,900人が島へ送られました。流人は牢に入れられることなく島民と生活をともにし、文学・宗教・芸術・建築技術など、島の文化に影響を与えています。
⚠️ 補足5:島酒について。八丈島では飢饉に備えるため、貴重な穀類を使う酒造りが禁じられていました。嘉永6年(1853年)に流刑となった薩摩藩の商人・丹宗庄右衛門がサツマイモを使った焼酎の製法を伝えたことで、島の酒造りが始まったとされています。
⚠️ 補足6:陣屋跡の玉石垣は、流人たちが一日の糧を得るために海岸から一つずつ運んだ石で築かれたと伝えられています。美しい景観の背後に、厳しい労働があったことを示す遺構です。
注意事項
※本動画は史料および歴史研究に基づく再構成であり、一部に学術的推定を含みます。
※製法や由来には諸説あり、資料によって異同があります。
※本チャンネルは特定の団体・企業・施設とは一切関係がありません。
#江戸時代 #八丈島 #日本史