「豊臣兄弟!」に学ぶ日本史 森長可の最期 小牧・長久手をはじめ一家6人が戦場の犠牲となった森家を存続させた長可の執念 History of JAPAN
歴史JAPAN Kunibo
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織田信長、そして羽柴秀吉に仕え、「鬼武蔵(おにむさし)」の異名で恐れられた猛将・森長可(もり ながよし)の生涯は、常に肉親の死と隣り合わせだった。名工・兼定の十文字槍「人間無骨(にんげんむこつ)」を振るって数々の武功を挙げたが、父・可成と兄・可隆を戦場で失い、十代前半で家督を継承。さらに本能寺の変では、信長の側近であった弟の蘭丸・坊丸・力丸ら3人を一日のうちに失った。若くして過酷な宿命を背負った長可は、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで、わずか27年の波乱の生涯を閉じることとなる。
秀吉方に参陣した長可は、合戦序盤の「羽黒の戦い」で徳川軍の奇襲を受け、手痛い敗走を喫した。家中屈指の武勇を誇る長可にとって、この敗戦は耐えがたい屈辱であった。何としても汚名を返上せんと焦燥を募らせる長可は、岳父・池田恒興が進言した「三河中入り作戦」に主力として志願し、徳川家康の本拠地を目指して出撃したのである。
しかし作戦は家康に見破られていた。後続の羽柴秀次隊が壊滅したことを知った長可らは反転し、天正12年4月9日、長久手の丘陵地帯で徳川本隊を迎撃した。この決戦で長可が身に纏ったのは、死装束を意味する純白の「白地金襴の陣羽織」だった。兜に鹿の角をあしらい、愛馬に跨る姿は誰よりも際立っていた。長可は「羽黒の恥をそそぐのは今であるぞ!」と大音声を響かせて突撃し、井伊直政の部隊と激しい白兵戦を展開した。
だが、戦頭で奮戦するその目立つ姿は、敵の狙撃手にとって格好の標的となった。徳川方の鉄砲足軽・杉山孫六が放った一弾が、長可の眉間を正確に撃ち抜いたのである。鬼神と恐れられた猛将は、叫ぶ間もなく馬から崩れ落ちて即死した。享年27の壮絶な幕切れだった。
合戦の直前、長可は密かに遺言状を残していた。そこには「我々の跡目くれぐれ嫌にて候」と記され、15歳の末弟・千丸(忠政)には家督を継がせず秀吉の側小姓にとどめること、さらに愛娘のおこうは武士ではなく京都の町医者へ嫁がせることが切々と頼まれていた。相次ぐ肉親の死を目の当たりにしてきた長可は、「鬼」の鎧の下で、家族を血塗られた武家の業から解き放ちたいと強く願っていたのである。
秀吉はこの遺言を敢えて退け、森家の忠節に報いるため千丸に家督を継がせた。後に弟・忠政は豊臣秀長の養女を妻に迎え、美作津山藩主となって森家の血脈を江戸の世へと繋いだ。長可の壮烈な最期は、乱世を疾走した若武者の哀切な叫びとともに、今なお語り継がれているが・・
作曲 秋山裕和
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