【原節子】52年間の沈黙 ― 消えることに成功した女優が、なぜ伝説になったのか
語られなかった昭和
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【原節子】52年間の沈黙 ― 消えることに成功した女優が、なぜ伝説になったのか
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語られなかった昭和
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【原節子】52年間の沈黙 ― 消えることに成功した女優が、なぜ伝説になったのか
誰にも気づかれぬように消えていきたい。
そう、1人の女優が語ったと伝えられています。
そして、その願いは、奇跡のように叶えられました。
52年間。彼女はたった1度も、公の場に姿を現すことはありませんでした。インタビューにも、一切応じませんでした。
その名前は、原節子。「東京物語」――イギリスのBBCが史上最高の映画に選んだ、あの作品の主演女優です。
2015年6月17日、95歳の誕生日。1人の女性作家が花束を抱えて、彼女の家の前に立っていました。けれど、その日も、原節子さんに会うことはできませんでした。家族が、最後まで守り抜いていたのです。
なぜ、これほどまでに徹底して、彼女は姿を消し続けたのでしょうか。そして、なぜ、消えることにこれほどまでに成功したはずの女性が、今もなお「伝説の女優」として、日本中の記憶の中に生き続けているのでしょうか。
今日は、原節子さんという女性の人生を、ゆっくりと辿ってまいります。
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【本編で取り上げる主な事実】(公開されている報道・書籍資料に基づく)
・1920年6月17日、神奈川県横浜市生まれ。本名・会田昌江。生糸問屋を営む家の7人きょうだいの末っ子
・1929年の世界恐慌の影響で家業が傾き、1934年、14歳で高等女学校を中退。義兄で映画監督の熊谷久虎氏の勧めで映画界入り
・1935年、「ためらふ勿れ、若人よ」でデビュー。役名にちなみ「原節子」と名付けられた
・1937年、日独合作映画「新しき土」の主演に抜擢され、17歳で国際的な注目を集める
・1940年頃、東宝の脚本家・清島長利氏と交際するも、会社と義兄の反対により清島氏は東宝を追われたと伝えられている。清島氏はのちに椎名利夫の名で脚本家として活動を続けた
・戦後、黒澤明監督「わが青春に悔なし」、今井正監督「青い山脈」などに出演
・1949年以降、小津安二郎監督と6作品で協働。「東京物語」は2012年、英BBCの監督調査で史上最高の映画に選出された
・ノンフィクション作家・石井妙子氏の取材によれば、原節子さん本人は小津作品の三部作を必ずしも自身の代表作とは考えていなかったとされる(本人による明言は確認されていない)
・1962年の「忠臣蔵」が最後の出演作。1963年12月、小津安二郎監督の通夜に参列した後、公の場から姿を消した
・以後52年間、神奈川県鎌倉市で親族と暮らし、取材や出演依頼には一切応じなかったと伝えられている
・作家・西村雄一郎氏の著書によれば、小津監督が愛した長野県蓼科の別荘敷地内には、原節子さんの本名「会田昌江」を刻んだ碑が現存する
・2015年9月5日、肺炎のため横浜市内の病院で逝去。95歳没。近親者のみで葬儀が営まれた
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【語られなかった昭和】
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【ご視聴にあたって】
本作品は、Wikipedia、nippon.com、文藝春秋オンライン、そして石井妙子氏・西村雄一郎氏による評伝をはじめとする、複数の公開されている報道資料・書籍に基づいて構成しています。原節子さんと小津安二郎監督との関係性、また引退の詳しい理由につきましては、複数の研究者による見解が伝えられているものの、ご本人が公式に語られた記録は残されていないため、断定的な表現を避け、「〜と伝えられています」「〜と考えられています」という表現を用いております。原様、ならびにご遺族の皆様への深い敬意を込めて、公表されている範囲の事実に基づいて制作しております。
この物語が心に響いたなら、大切なご家族やお友達と分かち合ってください。
最後までご視聴いただき、誠にありがとうございました。
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